マクドナルド聖蹟桜ヶ丘店は一見の価値あり

実に半年ぶりのブログ投稿。というのも、この「マクドナルド的な〇〇グ」は、同社の良きを届けるという目的があるものの、なかなかそれを見つけることが今はできない。その中で今日は久しぶりに記事にしたい体験をする事ができた。

2020年11月22日今回は東京都は多摩市。聖蹟桜ヶ丘へ。


川崎から南武線で分倍河原駅へ。そこから京王線で聖蹟桜ヶ丘駅におよそ1時間あまりで到着。聖蹟桜ヶ丘店は駅前の通りを渡り、目の前の商業ビルの1階にある。


入口真正面は注文カウンター。左手はお一人様用のカウンター席。右手はグループ用のテーブル席で、ワンフロア展開である。

外にはテラス席も用意されている
店の顔となるカウンターはGELがアシスト
カウンター席も席数が多い
ゾーニングが明確化されている


この店、実は数年前に一度訪れていた。その時の印象は「早さだけ」が売りという印象で、これといった良さは感じられなかった。今回再び訪れた理由は、店のクルーからお誘いを受けたからだ。正直前回の経験上あまり期待していなかったが今回はどうなることやら。

この店に限らず、この店のように「駅前」立地の場合、多くが以下のようなパターンに陥りやすい。

1. 多客で接客が雑
2. 多客で商品の品質が悪い
3. それでいて客席は放置され汚い
4. 店内が荒れだすと客層が悪くなる
5. 客層が悪くなると益々接客が悪くなる

という負のスパイラルに陥る。そしてこういう店は今とても多い。

店に着くなり目に留まったのが、おもてなしリーダー(GEL)の姿だ。このブログでも、再三にわたり採りあげてきたGELだが、おもてなしもまた「惰性」になりつつある。その多くは「ラインメイク」に集中し、おもてなし風など吹きやしない。そもそも売ることに集中しすぎてマンパワー不足も合いまってか、GELそのものを配備していない店もあるほどだ。それだけ今のマクドナルドとは混迷を極めている。さあ、今日はどんな仕事が見られるのだろうか。

私の懸念していたGELだったが、それは杞憂に終わった。
印象的なのは、マスク姿でも見せる「目元の笑顔」だ。多くの場面で対面することになるが、構えない自然な笑みは、ゲストの心を和ませる。そう、もうこの時点でこの店のスペックは分かり始めていたのだ。GELの活躍は「幅」がある。テーブルデリで、上品にも配膳する姿。ゲストも喜んでいる。細やかな客席のクレンリネス、スポットカンバセーションも効いている。
上品な所作なので経験値が凄そうだと訪ねたところ、まだ高校生というではないか!
そしてラインメイクも大きいアクションで指し示す。そこである事に気がついた。

ここがゲストとのタッチポイントとなる


一列で並んでいる先で、三台のPOSが待つ。足元にはここで待つようにという表示があるものの、一列から三列になるための文言は書かれていない。そこは、GELの役回りとして、次に空くPOSへの誘導を行うのだ。そこで必ずゲストとのタッチポイントが生まれる。しかし、テーブルデリでGELがいないときはどうするのか。よく見ていると、マネージャーや店長がササっと現れてアシストしている。こういうゲストとの接点はたまたま偶然生まれたようには見えない。

列に並び、衝撃を受けた!
なんとこの店には、まだSTAR(職制)が健在なのだ!
昨年9月のユニフォームの更新を機に、STARというタイトルは廃止され、今までのSTARは皆、Treinerに降格したと聞いている。しかも、特別なユニフォームである「スタユニ」は取り上げられ、入りたてのCREWと同じユニフォームで仕事をするようになったのである。サラカサノバによる経営合理化策で、このように半世紀に亘り伝承されてきたSTARの文化とは、いとも簡単に伐採されてしまった。そして今現場に立つ「元STAR」のクルーは皆、モチベーションダウンの中で、自分の活躍の場を失った喪失感にあると訊く。そういうレイバーの心が外国人経営者にはわからないようだ。
最後のスタユニである赤シャツに身を包み、元気な発声でカウンターをリードする彼女たちは、STARそのものだった。名札もしっかり「STAR」とある。

訊くところ、同店を運営する法人「BIGTIME」では、STARを廃止せずに残しているそうだ。それはオーナーの「フロアサービス」に対する考え方が大きく、その具現化の為にはSTARが必要と判断してのことだそう。まったく私と同意見でオーナーの心意気には頭が下がる。特別な教育を受け、脈々と伝承してきたSTARにはプライドがある。そのプライドを尊重するとはなんと素晴らしいことか。

小さなクリスマスの置物もSTARの仕業だろう


STARが先制しての元気なカウンター。この雰囲気が私は好きだ。

今のマクドナルドは、売ることに集中しすぎて、空間としての「楽しさ」「潤い」を失いつつある。こと藤田田時代のクルーは口々に「今のマクドナルドは静かだ」という。コーリングと言われる声の掛け合いも無く、ハッスルサジェストなどは絶滅寸前だ。そういうのは古いという関係者も一部いるが、実際こうして元気にやっている店もある。そして、こういう雰囲気になれば皆楽しいのではなかろうか。STARの甲高い声は混雑でも、マスクでもよく通る。むしろコロナ渦の今、それを見直しても良いように思う。

目の前にSTARが現れた。モップを手にしてクレンリネスを始めた。私はそれを見、胸がいっぱいになった。当たり前にそこにあった光景。それが今はとても希少なものになり、STARがフロアを守っていた頃を彷彿とさせる。彼女が入念に清掃していたのは、床に残る僅かな零し跡だった。こういう小さい汚れを見逃さない仕事を、この店では「当たり前」にしていることが嬉しい。

オーソドックスなビッグマックはソース多めで


肝心な食事はビッグマックにした。このオーソドックスな古き良きを大切にするBIGTIMEの店では、創業当時を思わせるメニューが相応しい。STARの元気な姿を見ながら食べるサンドイッチは、まだ「おいしい笑顔」が売りのマクドナルドにタイムスリップするような気持ちにさせられる。このオーダーの前に、マックフライポテトを頂いたが、こちらもカリッと立ったポテトが出てきた。クオリティも申し分ない。

元気なクルーを牽引する店長は私の目から見ても「できる」タイプだ。できる店長とは、自分で手を動かさない。ディレクターとは常にディレクションを仕事とすべきで、そうしないと秒単位で変化する店の状況に対応できないのである。実際フットワークの軽さ、アップ感は最高。そして、マネージャー陣の仕事の「緻密さ」も見逃さなかった。取り揃えは美しく、整然と並べ、さりげなくMマークも揃えている。プレゼンブースに入れば、ヘソに手を合わせてしっかりお辞儀をして見切るところまでしっかりやる。そこらへんの店のように、ゲストがトレーを取った瞬間踵を返すとか、そういう失礼が無い。こういう小さなところに「誰がお客様か」という考えが根付いているように思える。

あるマネージャーと対談した。そう。今日この店を異動で離れるAさん。招待してくれたその人である。

漲る素晴らしいマネージャーのオーラ


5年間に亘りこの店で働き、あることに挑戦し続けてきたそうだ。それは「ピラミッドの構築」だ。これは私の理論ともピタリと合致するのだが、管理者がてっぺんにくるピラミッドではなく、管理者が一番下でクルーを支えるというものだ。

このピラミッドの理念に同意していて驚いた

店長がいちばん偉い。
そんなことを考えている店はぼろい。それは店長力で全てが決まるし、牽引力がなければ店が腐るからだ。反面で、店長、管理者がしっかりした土台を築ければ、その上にいるクルーは安定し、仕事がしやすくなり、インナーホスピタリティにつながる。そして、このピラミッドとは「人育て」が鍵のようだ。
今のマクドナルドはRDM(店の運営プログラム)により、縦割り組織に拍車が掛かったと訊く。それは横の繋がりが希薄になり、コミュニケーションの分断が起きる。自分のことだけすればいいがまかり通り、小さいコミュニティで仲が悪いという人的な問題が顕著に現れる。Aさんはマネージャーだが、慣用句に「私の教え子」という言葉がある通り、多くの後輩を大切に育ててきた。そして、管理者でありながら「優しさ」に溢れている。後輩に慕われる管理者であることは、Aさんの最大の強さのように思う。そう。マネージャーとは人間性が大事だ。誰でもできるものではない。

店作りをしっかりやっていくという決意に満ちている仲間


それを語る上では、勝手に「七人の侍」と命名した人々の影がある。管理者、お客様係、それぞれのプロフェッショナルが強いプライドを持ち、お互いがそれを認め、尊敬している。形ばかりの「マクド愛」ではない。仕事を通じ、日々店を作り、ピラミッドの石積みを、全員参加でコツコツとこなす。ブレないマネージャーのもとには、良いSTARやGELの仕事が花咲き、クオリティ高いプロダクションが実現するというものだ。自分の店をどれだけ愛せるか。ゲストを唸らせることができるか、そこがゴールではなかろうか。

最後にお招きいただいたAさん、STARを存続してくれたBIGTIMEの内田オーナーには敬意を表すると共に、益々の発展を期待したい。

これだから店長が育たない

私は過日、グランドオープン(G.O)した店に行ってきた。
その時のことを今日は書こうと思う。

ちなみに私はマクドナルドの社員でもないし、クルーでもない。だからお金を払い、着席して食事をし、下げ膳して帰る、ただの客人だ。多くの人々と出会うから一応ホリデーであったとしてもビジネスカジュアルで伺うが、名刺交換したりする立場ではない。だからこそ、あくまで「客」としての目線で、マクドナルドの色眼鏡ではない視点での話をしたい。
マクドナルドの常識が、社会の非常識と言われる所以がよくわかる。

朝7時。
新店オープン。わくわくした気持ちで入店…と言いたいところだが、ここから問題が始まる。
この画像を見て欲しい。

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これは店の正面入口の外観だ。
実はこの写真に写り込んでいる人は全て「関係者」だ。OC(オペレーションコンサルタント:スーパーバイザーのような存在)やら、その上司やら、近隣のフランチャイズ加盟店のオーナー、こういう関係者が入口付近に屯し、客には尻を向けて必死にペコペコして名刺交換をしている。
もし私がこの店の店長なら、新しい店を訪ねてきてくれる客のためにも、こういう邪魔くさい関係者の集団に対して移動してもらうとかの配慮をするだろう。
こういう場面からも分かるが、マクドナルドの客とは、食事にやってくる人ではなく、フランチャイズビジネスでロイヤリティーを払ってくれる加盟店なんだなぁと熟々実感してしまう。それもそうだろう。マクドナルド社員がメシを食えるのは、全体の7割を占めるフランチャイズ加盟店に支えられているからだ。
こうやって「関係者同窓会」のような異様な雰囲気の中、客が置き去りになった新店オープンが始まった。

目新しい店内を撮影し、SNSに投稿しようと思っていたところ、あるスーツの男から声をかけられた。

「今ここを撮影されていましたが撮影はご遠慮願いたい」

お尻でいらっしゃいませの次は何かと思ったら、スマホで私人が撮影する行為を禁じるというお小言だ。
しかしちょっと待って欲しい。周囲を見渡すと、店内を撮影している関係者と思しき面々、客人の姿がほかにもあるが、ここまで客を警戒する真意とは何なのだろうかと思ってしまう。仮にも、新店の情報がSNSに拡がり、そういう口コミでの宣伝効果などは期待していないのかな?と思ってしまうし、このように「余計な一言」で、それがSNSにアップされることが、どれだけマイナスなのかと考えたことが無いのだろうか。それとも、撮影されてはマズいものがそこにあるのだろうか?
そんなに撮影されたくないのなら、店の入口に「インスタ・ツイッターへの投稿は固くお断りします」とでも書いておけば宜しい。

極めつけはこれだ。
店舗体験で気になることがあり、OCをつかまえて意見陳述をした。内容はこうだ。

「テーブルデリバリーの札があるのにやってもらえないのか」
OC「お客様のニーズに合わせてやっております」
「ん?何も訊かれなかったけど?」
OC「ですからお客様のニーズに合わせています」

とまあ、イライラしたのか、雑な回答が繰り出す。
続けてこう訊いた。

「待ち時間がより長いマックカフェではテーブルデリバリーしないのですね」
OC「朝からトラブルが起きていたので今始めました」

なんかこう引っ掛かるというか、客の意見を傾聴したいという意志は疎か、客の毛を逆なでする独特の節回しで淡々と言い訳をする。私がOCだったなら、こう対応するが…

「何かお気づき、お困りの点はございましたか?」

まあいい。おそらくクレームの物言い程度に受け止め、軽く蹴散らそうとでも思っていたのだろう。事実マクドナルドはとんでもない苦情が入りやすい企業だから先入観はある意味仕方ない。
その後不穏な空気感を悟ったのか、そのOCは「一応」の拝聴スタイルで話を聴き取るスタイルにチェンジした。周りをキョロキョロしながらだったので、まともに人の話に集中しているようには思えなかった。

こういう不躾を感じるシーンは、AJCC(オールジャパンクルーコンテスト)でも散見する。特に関係者の団子状態、店の席を占有し、本来の客に迷惑を掛けるとか、そういう配慮に欠ける動作は何も進歩が無い。

ここで思う事がひとつある。
それは、こんな上司が、やれ店長とか、おもてなしリーダーとか、そういう人々を教育しているという事だ。接客業とは思えない失礼千万で、まともな店舗体験さえ創り出せない、ヘタするとバイトクルー以下のビジネスが、何を教えるというのだろうか。
確かにマクドナルドビジネスにおいて、サンドイッチの作り方とか、クレンリネスとか、全てがマニュアル化されてはいるものの、その「オペレーション」をコントロールする人たちの活躍は大きいし意味がある。しかし、偉そうに店でウロウロするくせに、数々の失礼によって客人を小馬鹿にした対応をするとは、ある種の営業妨害なのである。そんな連中が大事な大事な新店オープンの日にやってきて、客の満足度をわざわざ低下させて、物知り顔でいられる神経が私には解せない。

ここまで読んで、まだわからない勘の悪い社員にもう一度言いたい。
学生のバイトクルーよりも、OC含むビジネスの存在は、やればやるほど、口を開ければ開けるほどに、逆効果しか生んでいない。店内をフニャフニャ徘徊してオーナーもそう。他法人の店だったとしても、普遍的なマクドナルドのファンが来店し、お金を落としてくれる。そこに何の感情も見て取れない。そんなことだから、また経営が傾いてくるのだ。

現場にはネクタイこそ締めてくるが、そのネクタイを締め直して、目の前の大切な顧客としっかりと向き合う。そういう精神を忘れたときに、本当の凋落を味わうことになるだろう。

何が“Be Customer”だ。笑わせるな。

マクドナルドの深刻な問題

私、マクドナルド的な〇〇は、全国のクルー(従業員)から相談を持ちかけられることが多い。今まで数えきれない悩みに向き合い、傾聴し、その解決の手助けをしてきた。そもそも、なぜ社員でもない私を訪ね、相談してくるのかという疑問があるかもしれないが、あるクルーがこう言っていた。

私たちの悩みや会社の問題点をよく理解してくれている

元々は某労組の執行委員をしていた経験で、労働法違反的な事案に対し、あくまで中立的立場で問題解決を指南してきたのだが、その延長線というところだろうか。多いときでは同時に4、5件は掛け持つこともある。自分自身誰かの世話焼きをするのは嫌いではないので、ボランティアでそれをしている。

そんな中、あるクルーから相談が届いた。
そして打ち明けてくれた悩みとは、とても重いものだった。

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この画像は、マクドナルドの季刊誌で「SMILE」と呼ばれるものだ。
以前は社内報として社外秘扱い(今はBizSMILEという別誌が社外秘)されていたが、今は一般向けに公開されている。そしてある号で登場したクルーからの相談だった。

関西の某店で働くクルーは、Trainerと言って、クルーの教育を任せられている存在だった。そして本人がいちばん大事にしていたのは「ホスピタリティ」だったという。その流儀を仕事に活かし、そして後輩達に伝承し、ゲストが喜んでくれることを第一に考えて行動していた。
ところが、そのクルーは自分の店にいられなくなってしまったという。話を訊くと、店長に嫌われてしまったというのだ。
ホスピタリティを大切にするクルーが、どうして店長から嫌われてしまったのだろうか…。

この店の店長は、売上利益至上主義で、その方針に従わないクルーはみんなぞんざいに扱わられるという。そんな中で、ホスピタリティなんていらない。より効率的に、合理的に仕事をして、キャッシュに拘って欲しいという命題を突きつけられたという。そのためには、マクドナルドの真骨頂とも言える「早さ」が強く求められる。同社の中では「タイム」と呼ばれる早さを示す時計が、クルー達にのしかかってくるという。今すぐキャッシュにならない、おもてなし要素はすべて却下され、店の風土はどんどん砂漠のようにカラカラになっていった。

そしてそのクルーは、なんと店を追い出されてしまった。
実際は近隣店に「移籍命令」が下り、本人の希望とは裏腹に異動を余儀なくされたという。

そのクルーはとても悲しかったそうだ。
自分が愛して止まない店を追い出され、新しい店で精一杯頑張り、また店長に評価され、引き戻してもらいたい。その一心で数年働いたそうだ。

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ある日、意を決して店長にLINEを送ったそうだ。
勇気を出して、そして誠意を込めて、心からの言葉を綴ったという。
しかし、そのLINEは、既読がついただけで、返信は無かった。

実は、こういう相談は、ひとつだけではない。
店長の方針に従わなければ村八分。こういう事案はかなりの数寄せられる。

マクドナルドは長きに亘り、ホスピタリティの樹を育ててきた。それは今のクルーの親の代から、脈々と受け継がれてきたものである。子供たちの笑い声が聞こえ、家族の楽しい時間を演出するクルーの姿があり、それを店長やマネージャーが、まるで親のように見守ったものだ。時にその想い出をポラロイドカメラで撮影して、おみやげにしてあげたりと、そこには心からのおもてなしの姿があったと思う。
今はどうだろうか。ビジネスリカバリープランが持ち込まれてからというもの、店長は皆、売上利益至上主義となり、多くのマクドナルドから「ホスピタリティ」が消え去ったのだ。私は日本一マクドナルドに行く客なので、その変化をこの目でしっかりと見分している。

売上利益は大切だ。しかし、それだけで世の中回っている訳ではない。
そもそも高校生が楽しくバイトできる環境をつくるのが店長の役目ではないか。その次元に金儲け主義をもってくるというのは、どういう了見なのだろうか。そんなにお金が好きなのか。

そしてこの問題は、今のマクドナルドを語る上でとても深刻な問題である。
何故なら、EOTF(未来型店舗体験)を開始している現段階で、こんな「おもてなし不要論」があちらこちらから浮上してくるという厳しい現実がそこにあるからだ。上質なおもてなしで、今までに体験したことの無い新しいマクドナルドを創っていこうというこの時に、ホスピタリティなんていらないとか、どの口が言っているのだろうか。もしかしたら、売上利益を求める中でするおもてなしとは、心のこもらない、形式的なものなのかもしれないと言わざるを得ない。

店長からのLINEは結局返ってこない。
そしてそのクルーは、スターバックス・コーヒーへ転職することを決めたそうだ。

SMILEで輝いていた笑顔。
あの日にもう一度戻りたい。
何より大好きだった店、仲間ともう一度一緒に働きたい。
まだ若いそのクルーには、胸が張り裂ける想いだったことだろう。

あなたのホスピタリティは、きっとスターバックスで花開くはずだ。
マクドナルドはこうやって、日々着々と、優秀な人材を失っていく。

「クルー満足度84% まだまだです」

人がいないSNS

私とマクドナルドの関係で、いちばん気になるところがある。
それは「壁を感じること」だ。

昔からそれを感じさせるのは、一見して客を歓迎しているようで、最大限にバリアを張っていると思わせるようなところが見え隠れする素振りをするところだろう。

例えばこんなケース。
ドナルドアピアランスで、客席にドナルドが登場した時に、スマホで撮影しようとした時、私はその店のクルーから制された。どうして撮影できないかと訊ねると…

「この向きでは他の客が写り込んでしまう」

そしてこうも言われた

「資材(納品された段ボールの山)が写ってしまう」

私は考えた。そもそもドナルドアピアランスを開催する意味とは?
そして、ドナルドが登場して楽しい時にどうしてこういう水を差すような発言ができるのだろうかと。まさか、写真を撮ろうとしている客全員に、こんなお節介な事をしているのだろうか?
正直、驚きを通り越して、ぐうの声も出ず、シケた思いでその店を後にした。

こんな事もある。

ある店で、おもてなしリーダーの働きに感激し、そのクルーと一緒に記念写真を撮りたいと思い、SWに一応確認した。すると…

「店長に確認してみてください。あっちに居ますので」

と言われたので、店長を探して訊いてみると…

「ああ無理ですね。そんなのできる訳ないでしょ」

というではないか。
当たり前のように無理だと言い、できる訳がないと言い切るスタイル。その確たる思いとは何故なのかなと思ってしまうし、ゲストとの関係をこの会社はどのように捉えているのかと思わざるを得ない。

客の写り込みとか、記念撮影さえもお断りとか、そういうフレンドリーなようで、いざ足を踏み入れると、必死に追い出すような素振り。ここに日本のマクドナルドの大きな癌腫瘍がある気がしてならない。
会社や店の判断は分かるし、全て私の思い通りになるとは思っていない。ただ、前者も後者も、断るにしても、よくもこんな失礼な発言をするなと感じるし、もっと言い方というものがあるだろうと思ってしまう。そういう頑ななバリアこそ、まるでエリア51に足を踏み入れ、警告されるようなイメージを持ってしまうのだ。

そしてもう一つ、不思議…というか、不気味に感じるものがある。
それは「マックアドベンチャー」に纏わる写真だ。

子供達に楽しい店舗体験をしてもらい、思い出をクルーとつくるというユニークな職場体験アクティビティだ。開催店舗はどこも人気があって予約がすぐ埋まると聞く。
しかし、ここにも謎めいた行動を見かける。

職場体験を終えて、カウンターの外に出て記念撮影。クルーがカメラのシャッターをきる。そしてできた写真を見た時に、何とも言えない気持ちになった。

集合写真の後列のクルーだけ、顔の部分がフレームアウトしているのだ。

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思い出にもぽっかりと穴が開く不思議な記念写真

間違ってそうなったのではないと思う。
おそらくそうした意図は薄々掴めるが、そこまでするのかな?とも思うし、子供達の楽しい思い出に、マクドナルドクルーの笑顔は不要という事なのだろうか。きっと子供達の思いも複雑だろうし、最後の最後に場がシケる。

さて、話は変わるが、国内にとてもユニークなお店がある。
まだ臨店したことは無いのだが、私がとても気になっているお店だ。
九州は長崎にある「みらい長崎ココウォーク店」のインスタの取り組みが素晴らしい。

マクドナルドみらい長崎ココウォーク店 Instagram
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客と作るインスタ企画!
フロートをオーダーした客にインスタに登場してもらうというものだ!
企画としてどうなるのかなと見守っていたら、毎日のように希望される客の笑顔がアップされていくではないか。私も多くのイイネをして参加した。

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そう。ここには「表情」がある。客の今の楽しい気持ち、クルーの客を喜ばせたいという気持ち、それがデジタルなディスプレーを通して伝わってくるのだ。
そして、その企画以外の部分でも、いつもクルーの笑顔が溢れる投稿が主成分であり、営業的なイイネではなく、親しみからくるイイネが集まっているのではないだろうか。

こんな楽しい場所が、マクドナルドなんです。
私はそれを言いたい。

海外のインスタを覗いてみても、それは顕著だ。
「客だからこうあるべきだ」みたいな概念が無いのだろう。実に自由で、フレンドリーなマクドナルドがたくさん見つかる。

例えばこちら。

McDonald’s Götgatan Göteborg Instagram
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スウェーデンはGötgatanに所在するマクドナルドの店アカウント。
何気ないお店でのワンカットには、ゲストの姿もある。それがとても自然な姿であることは、きっとゲストを家族のように思うからこそ、それができるのかなと思う。ここには、プライバシーとか、肖像権という小難しい言葉は見当たらない。

そもそも肖像権という言葉をよく聞くが、日本には肖像権に関する法律は存在しない。そういう言葉を知りもせず、独自解釈で認識している人がとても多い。そして、プライバシーについても、雑観においてそれを侵害されたとか訴える者がいるのかと言うと、それは地球上で隕石にぶつかるほどの低い確率だ。
それを建前にして、多くの客に対してバリアを張ることは、どれだけ損なのかは容易に理解できるのではないだろうか。事実、「みらココマック」のように、日本でも「可能」だという事を証明しているし、インターナショナルなマクドナルドの運用事例からしても、できている国がある以上、それは胸を張って推進しても良いことを証明している。それを遮るものとは、つまるところ「心の中のバリア」ではないだろうか。

記念写真すら撮れない、インスタしても店のポスターを写すだけ、本社のツイートをRTするだけ、写真のクルーは顔がない…それらに共通することは「人がいない」だ。
無人の、或いはカオナシでは、体温を感じない。本来、人と繋がることが目的のSNSにおいて、人がいないのでは、繋がりようがない。

もっとも、今や売上利益先行で、ホスピタリティを忘れている店がとても多いから、そもそもSNSすら売上の為だけでしかないかもしれない。しかし、忘れないでほしい。

マクドナルドは楽しい想い出ができる場所

それは世界の、どの店にでも、絶対的に共通していると思う。
「マクドナルドとはハンバーガーを売る仕事ではない。〇〇を売る仕事だ」
マクドナルドの従業員なら、〇〇に当て嵌まる言葉を知っている事だろう。
今、そこを想起してほしい。

もう一度マクドナルドで働きたい

私は11月3〜4日で、名古屋に行っていた。
目的は人に会うためだ。それもちょっと特別な思いがこもっている。

過日、「クルー満足度84%」について記事を書いた。それは社内で定期的に行われる「ピープルサーベイ」という労働者に対する意識調査のやり方について私なりの考えを纏めたものだが、このところ「本当に84%のクルーが満足しているのだろうか?」と思わせるような出来事が私の周りでは起こりはじめている。だからこそ、日々楽しく働ける事を今追求していくタイミングだと強く思っている。

広告に書かれた84%よりも、現場の「声」こそファクト感がある。

今回の名古屋訪問は、二人のクルーとお会いするのが目的だ。
そして、その二人に共通するキーワードがある。それは…

復活

一人目のクルーは二年前の春に卒店して、新卒で就職。社会人として活躍していた。
そしてその後結婚し、出産のために産休をとられた。
会社をお休みしている間だけ、マクドナルドでもう一度働きたいという本人の熱い思いが叶い、この度期間限定で「復活」を遂げたのだった。

私はこのクルーとは、卒店の時にお会いしていた。日頃の功労の証として、ポテトクッションを贈呈したのを昨日のように覚えている。そしてその後、ある事を悔やんだ。それは実際に働いている姿をちゃんと見ていなかったこと。店で輝く姿を二度と見ることができない…そう思った時に、ちょっとした後悔が残った。
それが今回、期間限定とは言え、もう一度店に立つと聞き、私の心は躍った。

店に着き、すぐにそのクルーを見つけることができた!
SW(スウィングマネージャー)で卒店していたが、復活後も凛々しいマネージャーユニフォーム姿だ。そして活躍がよく見える席で、パフォーマンスをとくと拝見した。
私の感想は「素晴らしい」の一言だ。ブランクがありながら、ブレなくキビキビと、しなやかに働いている。CREWのフォロー、OT、プレップ、バギングと、何でもこなし、他のメンバーをリードしていく。そしてDPSで見せるスマイルは最高の癒しだ。

その姿はあたかも「店長」のような存在感である。何より身体中から醸す「自信」が私にも感じられた。頼もしいマネージャーとしての姿を再び見ることができて、この上ない歓びとなった。

この方は、就職された後も、「マクドで働きたい」と、強く想い、SNSなどでも呟いていた。それは現実逃避したいとかそういう気持ちではなく、もう一度あの輝かしい時間を…というパッションに近い想いだろう。そして、復活が決まった時に、私にそれを知らせてくれた事が嬉しいし、それだけ本人としても、喜ばしい事だったのだろう。

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地下鉄に乗り、次の店へ向かった。
その店に着く頃には、雨が本降りとなってしまった。

こちらの店舗にも、二年前にやってきていた。
私を懇意に思ってくれているクルーがたくさん在籍している店で、私も皆に会いたいという気持ちから、新幹線に乗って名古屋に向かった。
しかし、私は店を訪れる際に、初回は「予告無し」というのが流儀だったから、その臨店の時は誰にも会えなかった。予告しない理由は、変に構えて欲しくないからだ。ありのまま、いつも通りの姿を拝見したい。それが仇となってしまったというわけだ。

月日は流れ、そのクルーたちはみんな卒店してしまった。
懇意にしてくれていたメンバーは、実際にお会いすることなく、活躍をこの目で見ることもなく、巣立っていってしまった。

自分の不甲斐なさを憂いだが、ある知らせを受信した。

そのクルーは遠方で就職して働いていたのだが、今年多発した未曾有の自然災害で職場が羅災。退職を余儀なくされてしまったそうだ。名古屋に帰郷し、やはり期間限定ではあるが、マクドナルドで働くというのだ。
私は一度もお会いしていなかったそのクルーの活躍を今拝見できる、幻となっていたそのクルーの復活を心から嬉しく思い、今回優先的に予定を組み、今日の臨店を実現した。

SNSで見つけるそのクルーの印象は「ハッピースマイル」だ!ユニフォーム姿の写真はいつもいい顔で、まさにハッピーが溢れるという言葉しか形容のしようが無いほどに楽しそうだ。SNSで私はすでに、その表情から「できるクルー」だという事は予感していたけど、そういう予感をさせる存在感に、魅力を感じていたのかもしれない。

店では昼ピークのランナーをやっているのが見えた。
慌ただしい最中、二度と出会う事がないと思っていた「ハッピースマイル」を見つけた!私は長い間文字のやりとりをしていながら、今日「初対面」のような気持ちになった。そして、また再び巣立っていくそのクルーの活躍を目に焼き付けた。
雨の中、物寂しい心に、温かく微笑むハッピースマイル。ほんの少しだけ目頭が熱くなった。

二人の復活したマネージャー。
共通することは「もう一度働きたい」という強い想いだ。
嫌々ながら仕事していたなら、もう一度働きたいなんて思わないだろう。
管理者としてのやりがい、誇り、そして何より自分が輝ける舞台として、そこにマクドナルドがある。
人生にはいくつもの分かれ道がある。それは時として運命の悪戯のように私たちに降りかかる。二人にとって吉か凶かは私にはわからないが、その運命の悪戯で再びマクドナルドで働けたこと、そしてその姿を応援する客(私)が居ることが、奇しくも、しかしそれは必然な、運命なのかもしれない。
運命の悪戯がなければ、今日ここで二人の復活した姿、活躍を見ることはできなかった。そう思うと、プラウドな気分が私の心を包んでくれる。

帰りの道、駅までの道すがら、私にこう話しかけてくれた。
「私に何かフィードバックをください」

私はそんな事を今日訊かれるとは思っていなくて、またそういう目的でいたわけではない無かったので、フィードバック(評価)とは違う切り口の話をした。

あなたの印象は、ハッピースマイル。
クルーの働きやすさを創るのも、客の心を和ませるのも、それはあなたのユニークな資質であるハッピースマイルによってクリエイトされるということ。それは日々反響し、店という箱に充満し、多くの人々をハッピーにしていくこと。そう伝えた。

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来春には二人のマネージャーは再び巣立っていく。
またいつの日か、二人に再会できることを願いつつ、これからの人生が豊かになることを願い、新幹線に乗って帰路についた。
そしてまた、こうも思う。

マクドナルドがあるから、二人は人生が豊かになった。

働くことの「満足度」とは数字では表せないところにある。
二人の素晴らしいピープルが多くのピープルを育て、そして後輩がそれを継承していけたらどんなに素晴らしいことか。

マクドナルドでの体験が、これからの人生を大きく変えていく。
二人のクルーからそう感じざるをえない。

【後記】
本当はおふたりのいい顔を皆さんにも見て欲しかったけど、イラストでご容赦頂きたい。