GELはおもてなしのリーダーとなれるのか

最近少しづつその存在を見せはじめたGEL(Guest Experience Leader)。巷では「マクドナルドって制服変わったの?」とか「会社の偉い人?」とか、様々な反応こそあるものの、正直なところ、新しく導入されたサービスを向上させるタイトルという認識はとても薄いようだ。
実際、ジェル(GELの呼び方)について、未だにマクドナルドのクルー(従業員)でさえ知らないケースもある。

以前記事を書いているが、GELの存在意義については私なりの考えもあった。
そして、その記事の中ではSTAR(お客様係)が無くなるのではないか?という推論まで展開した。しかし実際のところそれはまだ起きてはいない。
本来、日本のマクドナルドは昔から「STARのお姉さん」という呼ばれ方をして、長きに亘りフロアサービスや、イベントを担当してきた。そもそもSTARとは、「STore Activities Representative」という「店舗運営者」の意味合いも込められていて、おそらく最も客に近しい存在として親しまれてきた。

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では、GELとは何のために誕生したのか。

STARがフロアサービスを専属的にしてきたが、経営合理化と人手不足によってそれが失われたというのは以前の記事に書いたが、それを今想起し、再びフロアに力を入れたいという事だろう。しかし、そこにはSTARではなくて、GELに担当させるというのは、はたしてどういうものか…という複雑な心境もある。しかし、現場の事情から荒れてしまった客席に対する一つのアプローチとして、サービスやおもてなしを向上しようという同社の取り組みとしては、一定の評価はできる。

ここに一つ問題がある。

「正直GELの存在意義がよくわからない」
これは、あるマクドナルドクルーの言葉だ。
それは、正直なところ、私もそう感じている。

GELは、ホテルのコンシェルジュのようなユニフォームで、踵の高い靴を着用し、社内的には「中」(注文カウンターの中より奥)の仕事をしなくてもいいとされているらしい。だから滑り止めの靴ではなく、踵の高いお洒落な靴を履いて、ひたすら店内客席を廻るよう教育されている。
しかし一方で、CREW(青い服のクルー)と、STAR(赤い服のお客様係)、SW(黒い服の時間帯責任者)は、それぞれ「中」も「外」も対応する。すると、GELがやるべき仕事を、他のクルーもすることになり、持ち場としての「重複」が発生してしまう。
また、床をモップがけしたり、ゴミ替え(サンキューボックスのゴミを取り出す)などは、GELはしない。となると、フロアに何人ものクルーが廻ることになり、誰が何を担当しているのかが曖昧になってくる。

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一般的なマクドナルドクルーの仕事を比較したものをマトリックス化してみると、より分かりやすくなる。
ある店の担当業務を比較してみると、偏りがあるのと同時に、それぞれに被るところも多い。言い換えると、一般的なマクドナルドの仕事で見た時に、GELだけが担当するものが存在しないのだ。

ある筋の話では、GELになるためのトレーニングは大変厳しい基準があると聞く。それは、接客のいろはに止まらず、おもてなしとは何か、そしてご意見を賜る担当としてのマネージャーに近いスキルも学ぶという。そしてそれを認証する上司のチェックも、部長クラスが認めないと、合格することは無いそうだ。

まだ始まったばかりだから、おもてなしとは何かという迷いもあると思う。実際私が視るGELは、どことなく迷いがあるように思う。それは、AJCC(クルーの技術コンクール)でもよく見かけるが、自分がどう立ち振る舞って良いのか分からず、ウロウロオドオドしてしまう状態と同じだ。しかしそのGELの迷いは必然なのだと思う。それは、先に示した通り、多くの部分で既存タイトルと仕事の奪い合いになるからだ。そして、マニュアルに頼り続けてきた同社のサービスそのものの浅さが如実に現れた結果なのである。

そこで考えなければいけないのは、GELは何が担当なのか。
そして、サービスとは何かというテーマへの時間をかけたあくなき挑戦を始めるということ。

マクドナルドとは、セルフサービスのハンバーガーレストランだ。その既成概念を真っ向から逆転させるような大革命。それがGELから始まろうとしている。
革命とは「早くて安い」から「質」への取り組みを深めていくこと。それは世界で変わろうとしている大潮流が日本にも押し寄せた事によるものだ。

話は変わるが、私は過去に航空会社に勤務していた事がある。
そこでCAが学んだという言葉を一つ採りあげたい。

「サービスとは日々の自分磨きから自然に生まれるもの」

この言葉はとても深い。
あれして、これして、ああじゃなきゃいけない、こうじゃなきゃいけない。
そういう「〇〇べき」という理念の元で積み上げられるサービスとは、本人の心が醸すものではなく、誰かに命令されているに過ぎない。コマンドで動くものは機械であり、そのコマンド以上の事ができないことを表している。
自分磨きとは、心を磨くことだ。例えば、小さいお子さんの笑顔に微笑む事ができる、道端の小さい花を見つける事ができる、手話を学んでみる、そういう経験を重ねていく上で、マニュアルに無い気付きから生まれる気遣いができるようになる。
あなたの仕事はこれとこれだけやればいい。そういう枠に囚われないしなやかさと、人々を魅了するリズムが生まれる。…という話。

サービスメインというジャンルに挑むマクドナルド。
それは、今までのやり方、分厚いマニュアル、マクドナルド的な概念、それらを先ずは捨てることから始めなければいけない。両手にマクドナルドの重荷を持ったままでは、真のサービスなんて生まれやしない。
むしろ、サービスにマニュアルなんていらない。


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これはある海外のマクドナルドの店内の様子だ。
テーブルには小さな一輪挿しが置かれ、人々を和ませている。

例えば日本でこんな粋なことをしようとすると、これがなかなか難しい。
あるGELないしGEMが、お花を飾りたい!というアイデアを発案したとしよう。それはまず店長への確認になる。そしてそれは店長の上司のOCへ、そのもっと上司のOMへ、下手すると本社許可までエスカレーションする。そしてその答えはだいたい”NO”だろう。それは過去にもそのようなケースが多々あるからだ(関係者談)。

考えてみてほしい。おもてなしのためにどれだけGELがアイデアを出したとしても、それはおもてなしとは程遠い叔父様達によって却下される。私が思うところの「マクドナルド的な概念を捨てる」とはそこに由来する。今までと同じ事をしていては、GELもまたSTARのように、経営合理化の中で立ち位置が曖昧になり、きっとやり甲斐さえも奪ってしまうのではなかろうか。だからこそ、元祖マクドナルドの部分とは完全にセパレートしなければ、真のおもてなしは完成しない。

その好例が「McCafe by Barista」だ。
上陸当初は上質なコーヒーとケーキを寛ぎの空間で愉しむような業態だった。
しかし、それがマクドナルドの悪い癖に走り、店内だけで利用できたものをドライブスルーでも提供することになった。店内利用だけならバリスター(バリスタの教育を受けた専属クルー)が軽いお喋りでもしながら、じっくりと淹れたてのコーヒーを出してくれ、ケーキの皿には粋なメッセージを添えてくれる。マクドナルドもとうとうここに辿り着いたかと感心したものだ。ところが、ドライブスルーでの併売を「クロスセル」と言うが、それをしてしまうとドライブスルーの客は早く商品を渡さないと色々問題が起きるので、バリスタブースは戦場と化す。時にオーダーする事すら躊躇ってしまうほどに大変な忙しさになる。マクドナルド的な概念「高効率」を持ち込んだ事でせっかくのいいものが台無しになった。

効率を上げて収益性を高める。それは経済活動の正義ではある。しかし、どこもかしこも効率的にしてしまうと息ができない。私のマックカフェでの体験のように、クルーの息苦しさは客にも伝わる。せっかく少し値段の高いコーヒーで一息入れたいのに猛烈に忙しいバリスターを見て客が萎縮するようでは、まったく意味を成さない。
結果的に客はスタバ向きになってしまう。それこそが答えなのだ。高効率は一時的にはキャッシュを生む。しかし、長期的に見ると客は逃げ、その客はもう戻っては来ない。「寛ぎ」の大切さをマクドナルド的な概念がどんどん蝕み、ガタガタにしているのだ。そしてそれは今でも変わろうとしない。そういう点でも、GELが「導入当初とは違う」方向に傾倒していくのが怖い。

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GELの進む道は知っている。
欧米で採用されているキオスク端末(オーダーを受ける巨大なスマホのような装置)のアシスト係になるのだろう。
しかし、もしそれだけの存在なら、サービスを語る必要はない。厳しいというトレーニングも必要もない。皮肉な事に、キオスクが動き出せば、より効率的になり、より店は荒れてくる筈だ。大変な今よりも、もっとブン回すポテンシャルを必要とされるだろう。そんな荒涼な砂漠に、潤いを与えられる存在になれるのか。
サービスが向かうべきところとは何か。それは、政治的にこれから進むべき道に対し、小さい花を見つけ、感動し、それを愛でる心を養う事から始める。GELにはそうあってほしいと思う。

そして、最後にもう一つ。
サービスの向上をGELに委ねるのは素晴らしい。しかし、GELが何でもできるということではない。例えばこれ。

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相変わらず、サンドイッチの質も悪く、取り揃えも悪い。そんな店がまだまだ多い。
考えてみてほしい。こんなトレイでもって最上級のサービスを提供したいGELにバトンを渡せるのだろうか。作る人、揃える人、そしてGELがそれを仕上げるサービスアンカーになる。それで初めて最高のサービスが完成する。
ただGELを始めました。中は今までとやることも、理念も一緒。それではやる意味がない。
あるエクセレントなクルーの言葉を、最後に記したい。

「サービスは…
まず土台にクレンリネス。
お店をきれいに保つことで お客様にまず清潔面で快適さを提供する。

そのつぎに正確さ。
当たり前のことですが、オーダーを正確にとること。
スピーディーに商品を提供すること。
その商品のクオリティを重視すること。

当たり前ですが、頼んだ商品を正確に貰い、綺麗な場所でご飯をたべる。
それを提供できなければ、いくらホスピタリティが良くてもお客様は満足しません。
それができて、そこにはじめてプラスできるのが『ホスピタリティ』です」

“GELはおもてなしのリーダーとなれるのか” への 4 件のフィードバック

  1. よく分析、考察された記事で、読み応えありました。

    一般的に客はマクドナルドにおもてなしは期待していないと思うが…この方向性で合っているのか?
    常に多忙で、スマイルもするゆとりがないのは見てわかる。カウンターはどの店も客より1段高く造られ、入国審査官のように客を見下ろす。
    最低限、汚れてないテーブルで、早く安く食べられたらそれで良し。
    中途半端なフロア係を増やして人件費増やす余裕があるなら、10円でも各種バーガーを安くしたほうが客には喜ばれるはず。
    おもてなしGELより清掃員が必要。
    ゴミボックスが満杯で入れれない、トイレが汚く臭い、だけ、しっかり解消してほしいと思う。

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  2. 全文を読ませていただきました。 数時間前に宇都宮 戸祭店を利用しました。14時を過ぎていましたのでそれほど混んではいませんでした。
    席に着き座ろうとしましたが、テーブル及びソファー どちらも汚れがありました、
    ダスターをもらい自分でふき、食事をしてきました。  かなり残念でした。昔主人も子供たちもマックでバイトをして、何よりも先に清掃とスマイルを教えて貰ったと話していましたので。   時代なのでしょうか?

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