マクドナルド聖蹟桜ヶ丘店は一見の価値あり

実に半年ぶりのブログ投稿。というのも、この「マクドナルド的な〇〇グ」は、同社の良きを届けるという目的があるものの、なかなかそれを見つけることが今はできない。その中で今日は久しぶりに記事にしたい体験をする事ができた。

2020年11月22日今回は東京都は多摩市。聖蹟桜ヶ丘へ。


川崎から南武線で分倍河原駅へ。そこから京王線で聖蹟桜ヶ丘駅におよそ1時間あまりで到着。聖蹟桜ヶ丘店は駅前の通りを渡り、目の前の商業ビルの1階にある。


入口真正面は注文カウンター。左手はお一人様用のカウンター席。右手はグループ用のテーブル席で、ワンフロア展開である。

外にはテラス席も用意されている
店の顔となるカウンターはGELがアシスト
カウンター席も席数が多い
ゾーニングが明確化されている


この店、実は数年前に一度訪れていた。その時の印象は「早さだけ」が売りという印象で、これといった良さは感じられなかった。今回再び訪れた理由は、店のクルーからお誘いを受けたからだ。正直前回の経験上あまり期待していなかったが今回はどうなることやら。

この店に限らず、この店のように「駅前」立地の場合、多くが以下のようなパターンに陥りやすい。

1. 多客で接客が雑
2. 多客で商品の品質が悪い
3. それでいて客席は放置され汚い
4. 店内が荒れだすと客層が悪くなる
5. 客層が悪くなると益々接客が悪くなる

という負のスパイラルに陥る。そしてこういう店は今とても多い。

店に着くなり目に留まったのが、おもてなしリーダー(GEL)の姿だ。このブログでも、再三にわたり採りあげてきたGELだが、おもてなしもまた「惰性」になりつつある。その多くは「ラインメイク」に集中し、おもてなし風など吹きやしない。そもそも売ることに集中しすぎてマンパワー不足も合いまってか、GELそのものを配備していない店もあるほどだ。それだけ今のマクドナルドとは混迷を極めている。さあ、今日はどんな仕事が見られるのだろうか。

私の懸念していたGELだったが、それは杞憂に終わった。
印象的なのは、マスク姿でも見せる「目元の笑顔」だ。多くの場面で対面することになるが、構えない自然な笑みは、ゲストの心を和ませる。そう、もうこの時点でこの店のスペックは分かり始めていたのだ。GELの活躍は「幅」がある。テーブルデリで、上品にも配膳する姿。ゲストも喜んでいる。細やかな客席のクレンリネス、スポットカンバセーションも効いている。
上品な所作なので経験値が凄そうだと訪ねたところ、まだ高校生というではないか!
そしてラインメイクも大きいアクションで指し示す。そこである事に気がついた。

ここがゲストとのタッチポイントとなる


一列で並んでいる先で、三台のPOSが待つ。足元にはここで待つようにという表示があるものの、一列から三列になるための文言は書かれていない。そこは、GELの役回りとして、次に空くPOSへの誘導を行うのだ。そこで必ずゲストとのタッチポイントが生まれる。しかし、テーブルデリでGELがいないときはどうするのか。よく見ていると、マネージャーや店長がササっと現れてアシストしている。こういうゲストとの接点はたまたま偶然生まれたようには見えない。

列に並び、衝撃を受けた!
なんとこの店には、まだSTAR(職制)が健在なのだ!
昨年9月のユニフォームの更新を機に、STARというタイトルは廃止され、今までのSTARは皆、Treinerに降格したと聞いている。しかも、特別なユニフォームである「スタユニ」は取り上げられ、入りたてのCREWと同じユニフォームで仕事をするようになったのである。サラカサノバによる経営合理化策で、このように半世紀に亘り伝承されてきたSTARの文化とは、いとも簡単に伐採されてしまった。そして今現場に立つ「元STAR」のクルーは皆、モチベーションダウンの中で、自分の活躍の場を失った喪失感にあると訊く。そういうレイバーの心が外国人経営者にはわからないようだ。
最後のスタユニである赤シャツに身を包み、元気な発声でカウンターをリードする彼女たちは、STARそのものだった。名札もしっかり「STAR」とある。

訊くところ、同店を運営する法人「BIGTIME」では、STARを廃止せずに残しているそうだ。それはオーナーの「フロアサービス」に対する考え方が大きく、その具現化の為にはSTARが必要と判断してのことだそう。まったく私と同意見でオーナーの心意気には頭が下がる。特別な教育を受け、脈々と伝承してきたSTARにはプライドがある。そのプライドを尊重するとはなんと素晴らしいことか。

小さなクリスマスの置物もSTARの仕業だろう


STARが先制しての元気なカウンター。この雰囲気が私は好きだ。

今のマクドナルドは、売ることに集中しすぎて、空間としての「楽しさ」「潤い」を失いつつある。こと藤田田時代のクルーは口々に「今のマクドナルドは静かだ」という。コーリングと言われる声の掛け合いも無く、ハッスルサジェストなどは絶滅寸前だ。そういうのは古いという関係者も一部いるが、実際こうして元気にやっている店もある。そして、こういう雰囲気になれば皆楽しいのではなかろうか。STARの甲高い声は混雑でも、マスクでもよく通る。むしろコロナ渦の今、それを見直しても良いように思う。

目の前にSTARが現れた。モップを手にしてクレンリネスを始めた。私はそれを見、胸がいっぱいになった。当たり前にそこにあった光景。それが今はとても希少なものになり、STARがフロアを守っていた頃を彷彿とさせる。彼女が入念に清掃していたのは、床に残る僅かな零し跡だった。こういう小さい汚れを見逃さない仕事を、この店では「当たり前」にしていることが嬉しい。

オーソドックスなビッグマックはソース多めで


肝心な食事はビッグマックにした。このオーソドックスな古き良きを大切にするBIGTIMEの店では、創業当時を思わせるメニューが相応しい。STARの元気な姿を見ながら食べるサンドイッチは、まだ「おいしい笑顔」が売りのマクドナルドにタイムスリップするような気持ちにさせられる。このオーダーの前に、マックフライポテトを頂いたが、こちらもカリッと立ったポテトが出てきた。クオリティも申し分ない。

元気なクルーを牽引する店長は私の目から見ても「できる」タイプだ。できる店長とは、自分で手を動かさない。ディレクターとは常にディレクションを仕事とすべきで、そうしないと秒単位で変化する店の状況に対応できないのである。実際フットワークの軽さ、アップ感は最高。そして、マネージャー陣の仕事の「緻密さ」も見逃さなかった。取り揃えは美しく、整然と並べ、さりげなくMマークも揃えている。プレゼンブースに入れば、ヘソに手を合わせてしっかりお辞儀をして見切るところまでしっかりやる。そこらへんの店のように、ゲストがトレーを取った瞬間踵を返すとか、そういう失礼が無い。こういう小さなところに「誰がお客様か」という考えが根付いているように思える。

あるマネージャーと対談した。そう。今日この店を異動で離れるAさん。招待してくれたその人である。

漲る素晴らしいマネージャーのオーラ


5年間に亘りこの店で働き、あることに挑戦し続けてきたそうだ。それは「ピラミッドの構築」だ。これは私の理論ともピタリと合致するのだが、管理者がてっぺんにくるピラミッドではなく、管理者が一番下でクルーを支えるというものだ。

このピラミッドの理念に同意していて驚いた

店長がいちばん偉い。
そんなことを考えている店はぼろい。それは店長力で全てが決まるし、牽引力がなければ店が腐るからだ。反面で、店長、管理者がしっかりした土台を築ければ、その上にいるクルーは安定し、仕事がしやすくなり、インナーホスピタリティにつながる。そして、このピラミッドとは「人育て」が鍵のようだ。
今のマクドナルドはRDM(店の運営プログラム)により、縦割り組織に拍車が掛かったと訊く。それは横の繋がりが希薄になり、コミュニケーションの分断が起きる。自分のことだけすればいいがまかり通り、小さいコミュニティで仲が悪いという人的な問題が顕著に現れる。Aさんはマネージャーだが、慣用句に「私の教え子」という言葉がある通り、多くの後輩を大切に育ててきた。そして、管理者でありながら「優しさ」に溢れている。後輩に慕われる管理者であることは、Aさんの最大の強さのように思う。そう。マネージャーとは人間性が大事だ。誰でもできるものではない。

店作りをしっかりやっていくという決意に満ちている仲間


それを語る上では、勝手に「七人の侍」と命名した人々の影がある。管理者、お客様係、それぞれのプロフェッショナルが強いプライドを持ち、お互いがそれを認め、尊敬している。形ばかりの「マクド愛」ではない。仕事を通じ、日々店を作り、ピラミッドの石積みを、全員参加でコツコツとこなす。ブレないマネージャーのもとには、良いSTARやGELの仕事が花咲き、クオリティ高いプロダクションが実現するというものだ。自分の店をどれだけ愛せるか。ゲストを唸らせることができるか、そこがゴールではなかろうか。

最後にお招きいただいたAさん、STARを存続してくれたBIGTIMEの内田オーナーには敬意を表すると共に、益々の発展を期待したい。