マクドナルドの早さとは善か悪か

創業以来のこだわり
聞こえのいい言葉だが、そのこだわりが長きに亘り存続される事が、かえって大きな歪みを生じさせる事がある。

マクドナルドという企業の創業以来変わらないものとは、偏に「早さ」だ。
90秒でハンバーガーを提供するというルールがあり、生産性におけるタイム(時間)へのこだわりは特徴的で、他の飲食とは大きく方針が異なる。

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なにかに取り憑かれたかのような早さへのこだわりはプロモにも現れた

そもそも、どうしてそこまで早さにこだわるのか。
それは、創業者の体験に由来する。

映画「ファウンダー」の一幕にそれはある。世界のマクドナルドの生みの親であるレイクロック氏は、鳴かず飛ばずの売れないシェイクマシーンの営業マンだった。営業先はファーストフード店だから、多くの店先を廻り、断られ、もちろん食事もそこでしたり、テイクアウトで移動中の車でしたりするのだった。
そこで彼が目の当たりにしたのは、ファーストフードの提供する早さが、あまりにも遅いという現実。その「着目点」は、「スピーディー」として「マクドナルドビジネス」を確立するまでに至る。早さとは同社の成長を支えてきた三本柱のひとつと言っても過言ではない。その後日本にそのビジネスモデルが輸入され、様々な戦略過程を経て、ラーメン屋のような「早い・安い・美味い」のハンバーガーレストランとして確たる地位を構築した。

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徹底した早さの追求はマクドナルドビジネスの根幹でもあるが

マクドナルドとは、過去に大きな経営の分岐点として、生産方式の切り替えを行なった事がある。「ダイレクトオペレーション」と呼ばれた方式は、創業当初から変わらないもので、大量生産してある程度の在庫時間が過ぎると廃棄するという、まさに提供時間を極限に短縮した方式で、長くこの方式が運用され、庶民には「マクドナルド=早い」というイメージを刷り込んだものである。
それが「メイドフォーユー」(MFY)という「受注生産方式」に変わった。早さは良しとしても、大量廃棄が時流に合っていないという事と、メニューの増大に方式が追いつかなくなってきたからだ。MFY自体は今でも日本のマクドナルドの中心的な方式で、導入以来ほとんど姿形を変えていない。

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MFYとはマクドナルドの歴史の中では大革新だ

早さとは一体誰のために。

本来、レイクロックが思う「早さ」の恩恵とは、誰が甘受できるものなのかと考えた時に、それはもちろん顧客優位な発想によるものだったと思う。しかし、今現在の早さとは、顧客優位のものではなく「会社優位」にあるように感じるのだ。

そこそこのGC(来客数)であれば、簡素な早さを軸として考案されたハンバーガーを、無理なく90秒で提供できるし、それに客は喜んでくれた。しかし、それは半世紀以上昔の話だ。今はどうだろう。昔とは違い、商品数も増え、生産方式も変わり、そして何より時流が勝り、飲食業界のトレンドも変化した。マクドナルドはその中で進化したのかといえば、それはどちらかといえば「現状維持」を繰り返しながら、今に至っている。
ここで重要な点は「顧客優位か」という点だ。顧客のニーズは、ハンバーガーチェーン業界全体として言える事だが、タイムを意識しすぎた企業は他には無い。そして生産方式に合わせた「焼きやすい薄さのハンバーグ」といった扱いやすさが勝る食材しかない企業もまた、マクドナルド以外に存在しないのである。それは、これだけ豊かな社会で、顧客の本物志向が当たり前にある現代で時代に逆行しているし、値上げばかりして、商品の変化が止まったものを、独り善がりで売ることにつながる。
例えば改悪の一つに「シュレッドレタス」というものがある。誰でも一度は食べた事があろうビッグマックにも採用されている。文字通り短冊状に切られたレタスは、思いっきり頬張ると、バラバラと下に落ちる。食べにくい上にこんなレタスを採用しているファーストフードを他に私は知らない。こういうところに「早さゆえ」なところが散見し、またその「常識」を疑わない。千切りにしたレタスで客が喜ぶはずがない。

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あるときからレタスが千切りに切り替わった

今は断るほどのGCがある。しかし早さへの手綱を緩めない。1秒でも早く客に商品を引き渡す為のスピーディー。ピークタイムの店内は「活気」を通り越し「朦朧」としたクルーの顔がある。待ちの列から離脱していく客を取り零さないように必死になっているのではないか。そしてその全体像を少し引いてみた時に、早さが足枷となり正当な進化ではなく、どこか奇形な進化を余儀無くされているのではないか?そう想起させられるのである。

そしてその「早さ」はどこにあるのか。

よほど空いていないと「90秒」で商品を手にする事が出来なくなってきている。私はそもそも早さなんて求めていない。どちらかというと早くなくてもいいから、じっくりコトコト煮込んだスープのように手間暇かけて丁寧に作って欲しい。その「急ぎ」が様々な問題を引き起こし、その度に顧客の信用を失っている。
私の知人がある店で、てりやきバーガーをテイクアウトで購入。さあ食べようかと思い個装を開けて驚いたという。なんとバンズ(パン)が入っていなかったそうだ。店に電話しても全然出ない。ようやく出たなと思ったら今から作り直して届けるという。それはそれで仕方ないのだが、知人は二度とその店を利用する事がなくなったそうだ。
取り揃え違いも店にいるとよく目にする。ドリンクの蓋を開けてカウンターに向かう客を見るたびに「あぁまたか」と思ってしまう。そして以前話題になった「悪い取り揃え」なども、早さ偏重が生んだ産物だ。

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急げば急ぐほど仕事は雑になる

そうでなくても早さのために考案された簡素なサンドイッチ。それを90秒で作るといいながら届けられない。クオリティが悪くアピアランスも悪い、それを取り揃えや入れ忘れで間違える、ドリンクは定量注げてない、ポテトは忙しすぎてホールディングタイムが怪しい冷めたものが提供される、諸々あるが、これらの諸悪の根源は今や「早さ」にあるとは思えないだろうか?
もはや早さはそこには無い。

そして顕在化する問題点はEOTFだ。
創業者精神の持込み、踏襲が最も噛み合わない未来型店舗体験。
もうそれは起こっている。たとえばテーブルデリバリー。早さを追求した割にはテーブルデリバリーのシステムは陳腐としか言いようがない。RFロケーターという無線で客が着席した場所を報せるというシステムを介しても、お運びするクルーは右往左往。日本マクドナルドのリファレンスである1号線池上店に先日コンテストでお邪魔したが、フロアを三周しても客が見つからない。そんなこんなで商品も冷める。気がつけばフロアは彷徨うクルーだらけではないか。
他の店ではこうだ。テーブルデリバリーが受注順で機能していない。後回しになった客が陳情している。そのそばで放置されたトレーがどんどん増えていく。
何が問題なのかといえば「早さ」なのである。生産能力が高く、どんどん作れるのだが、それを席に届ける側が対応しきれていない。放置しておけばどんどん鮮度が落ちるしせっかくHLZ(保温装置)で温めていたのに、お届け直前でもう冷めている。
EOTFで開始されたテーブルデリバリーも、海外のマクドナルド事情に照らして考えた時、そもそも海外では「早さ」へのこだわりをある程度捨てている。その最たるものがクリエイトユアテイスト(CYT)だろう。

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客は完全オーダーメードの商品を発注できる

キオスク装置で、食べたいサンドイッチの「トッピング」が可能で、全部のせだととても背高なサンドイッチになる。もちろんそれは90秒では作らない。調理時間がかかるからこそのテーブルデリバリーだったのだ。しかし日本では早さそのままにして、この方式を持ち込んでしまった。日々の現場の苦痛は計り知れない。

そして極め付けは2020年に本格稼働するであろうモバイルオーダーだ。
経営側は大いに喜んでいるが、これほど現場泣かせなものは無いだろう。先に示したようにテーブルデリバリーでさえ滅茶苦茶なのに、スマホで先に発注、支払いを済ませた客が店に押し寄せる。早さで鍛えられているとは言え、パンク寸前に生産能力を発揮しなければいけないし、テーブルデリバリー以前に「席番指定」方式になって座るところが無いという苦情が殺到することは火を見るよりも明らかだ。そしてその矢面に立たされるのは、おもてなしリーダー(GEL)だろう。

早さが悪だとは言わない。
しかし、早さとは今、そこまで求められているのだろうか。

マクドナルド従業員は「ハーフセールス」というものを自慢する事が多い。30分で幾ら儲けたかを示すものだが、それもどことなく「狂騒さ」を感じるものがある。もちろん商売だから繁盛するに越したことはない。しかし「ハーフ14万」とは確かに凄い戦績ではあるが、クオリティは?間違えは?おもてなしは?そして何より、客は満足しているのか?自己満になってはいないか?

どうしても早さを捨てられない日本マクドナルド。
それは長きに亘る積み上げの結晶でもある。
しかし、それをこれからも維持し続けらるのか。
そしてその結果として、根幹にあるべき「顧客満足」に直結しているのか。

毎日店を利用する私だが、今着実に客が減っている事に気付いている。なぜ何回やってもそうなるのかを探らねばならない。早さとは、独り善がりではないか。

レイクロックは何処へ

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皆さんは映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」は鑑賞されただろうか。
私は無類のマクド好きでありながら、本作についてはあまり観る気がせず、劇場での鑑賞はタイミングを逃していた。
内容的にテレビ放映は無いだろうと思っていたところ、”Google Play”にラインナップされたので、レンタルせず「購入」し、鑑賞することができた。

きっと「マクドナルド」を知らない人はいないだろう。
しかし、「レイクロック」という人物を知っている人は、それほど多くないはずだ。
本作は、そんな「マクドナルド兄弟」と「レイクロック」の物語だ。

私なりの感想を交えて、本作を紹介していこう。

物語の主人公は、シェイクミキサーの営業マンであるレイ
彼は鳴かず飛ばずのセールスマンで、独自のセールストークを駆使し、飲食店を行脚しては、同時に複数のシェイクを作ることができるミキサー装置の販売を生業としていた。
ほとんどが門前払いという厳しい現実。働くことに嫌気がさす日々。しかし彼は「ポジティブの力」という自己啓発レコードをステイ先のホテルで再生しては、自分を奮い立たせ、モチベーションを保っていた。
現在のマクドナルドの「ポジティブ」を軸とした人材育成の原点は、ここに由来するような気がした。逆境にめげない心の源流である。

ある日、レイの元に、ミキサー6台の注文が入る。
まったく売れないミキサーを6台も注文する人物とは?
そう、その相手こそが、マクドナルド兄弟だった。レイとマクドナルド兄弟の出会いとは、このミキサーの取引がきっかけだった。
もしかしたら、この注文が無ければ、今のマクドナルドは存在しないのかもしれない。

レイはマクドナルドが気になって仕方なくなり、Route66をひた走り、カリフォルニアに向かった。

そしてレイが目にした“McDonald‘s”とは、今までに類を見ない先進的なハンバーガーレストランだった!

  • 注文したらすぐに商品が提供される
  • 食器ではなくラップ包み
  • 高品質
  • セルフサービスでウェイトレスがいない

私の知る知識では、当時は「クズ肉」と言われる粗悪な材料を用いていたようだが、それほど当時のファーストフードとは、まさに「ジャンク」の極みのような存在だったのだろう。

レイは“McDonald‘s”の中が気になって仕方なくなり、マクドナルド兄弟に誘われ、厨房を見学する。その中はまさに今までの飲食業界の常識を超えるものだった。
マクドナルド兄弟はイノベーターだ。厨房機器のゾーニング、動線、材料の分量、調理手順、衛生管理を緻密に計算していた。それを安定的な品質維持のための「黄金比」として確立し、遵守していた。

セールスマンとして、売ることを専業としてきたレイ。何より彼は独立志向の強い男だ。彼の「野心」は“McDonald‘s”のチェーン展開を目論みだす。寝ても起きても“McDonald‘s”が頭から離れない。それほどレイはマクドナルド兄弟が考案したビジネスモデルの虜になった。

レイはマクドナルド兄弟を説得し、フランチャイズ展開の引導をレイに渡し、田舎町の“McDonald‘s”は町中に、アメリカ中に拡がっていくことになる。

しかし、それだけの「ビジネスモデル」を構築するだけの異端であるマクドナルド兄弟だからこそ、頑として譲らない「拘り」があった。それは商品に対してもそうだし、店舗拡大においてもそうだった。
何をするにも「契約」上取り決められた「承諾」が必要であり、徐々にレイとマクドナルド兄弟の関係に歪みが生じてくる…。

ストーリー紹介はネタバレで観る楽しさが薄れるので、ここから先はぜひ本作を観て知ってほしい。

日本に限定されず、世界のマクドナルドから「推薦」されない「理由」が分かった。
それは、「乗っ取り」にも近い荒々しさが感じられる、割とダーティーな印象を与える作品だからだ。観る人によって感情は様々だが、私の場合、レイが「悪人」に見えなくもなかった。それだけ「貪欲」なアメリカン・ドリームを追う人々の泥臭さが感じられる。
しかし、職人は売り方が下手なのに対して、売り手は不器用、この関係が両者には当て嵌まる。結果として「Founder」(創業者)の冠は、レイのものになってしまったが、マクドナルド兄弟の考案した「スピーディー」システムが無ければ、レイが名を残すことも無かった。お互いが敬意を持ち、足りない部分を補い合えば、誰も不幸にはならなかっただろう。

1940年に端を発した、飲食のイノベーション。それはとても斬新なものだった。
そして時は流れて2018年現在。その哲学は今に継承されている。
それはとても美しい響きだが、私はそうは思わない。
それこそ半世紀に亘り、同じことを「創業者精神」を踏襲することで、多くの代償を払ってきた。具体的に言うと、その「スピーディー」システムを伝家の宝刀とすることで、完全に時代のトレンドから外れてしまった。
本作の冒頭でもそんな情景描写があるが、サービスが遅い、不正確、品質が悪いという三悪を解消するために、当時はスピーディーが効いた。しかし、時代は「量産型」とか「マニュアル主義」とは真逆に進んでいるような気がしている。
これからも、100年、200年と、早さだけを売りにしていくのだろうか?

世界のマクドナルドの財務状況は、全体的に厳しいものがある。
その最大の理由は、早さを軸とした創業モデルへの固執によるメニューの平凡化が引き起こす顧客離れと、高額のロイヤリティだ。皮肉なことに、それらはレイ、マクドナルド兄弟のDNAそのものだったりする。
そして今、早さ、システマチックから離れたマクドナルドが増えだした。

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香港では”NEXT”という新業態がスタートし、もはやマクドナルドの面影は無い

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世界で広く”CYT”(Create Your Taste)という業態が展開され、待たせるが本格バーガーを提供するシステムに変わってきた

今、天国にいるレイクロック氏、マクドナルド兄弟は何を想うのだろうか。
半世紀も前のことに拘り迷走することを望んでいるのだろうか。
ビジネスには原点がある。しかし、拘りすぎて崩壊する経営はとても多い。人も、文化も刻々と進化する、そしてその速さが恒常的に加速していく今、原点ばかり見ていると、ただひとり時代にとり残されてしまうことは間違いない。

今でもスピーディー、それによるハイセールスで喜んでいる。
数字だけを追い求めるのであれば、いくらでも効率的にすればいい。しかし、レイがとても嫌がった「低品質」が、其処彼処の蔓延しだしている実質的な危機には、だれも目を向けてはいない。
そう。ポジティブの実践者であったレイでさえ、ひどい品質については、眉間に皺をよせ、怒りを露わにしていた。
全国の店を訪問している私だが、そこはレイと流儀が一致していることが嬉しい。
ポジティブとは、ネガティブ(低品質)が原料であること。そこに拘ってこそ、レイもきっと喜んでくれるのではないだろうか。

本作で、レイが面白いことを言っていた。
「マクドナルドという輝かしい名前には不思議な力がある」
店の名前として、マクドナルドが響として優れているという。
それはもしかしたら、喧嘩別れしたマクドナルド兄弟に対しての、レイの「敬意」の表れなのかもしれない。そして、レイが提唱した「裁判所、教会、マクドナルド」と言われるほどに町に必ずある存在になるために、それは飲食店ではなく“McDonald‘s”という呼称が相応しいということ。
今や人々の集まる場所として、しっかりとポジションを確立した。

これからも人々においしい食べものを提供し、笑顔集まる場所であり続けること。
それには、レイ、マクドナル兄弟の拘りとは別に、今ここにいる「私たち」に引導があるのではないだろうか。
クルーの創意工夫、客をもてなすまごころ、そして何より品質。

そう。マクドナルドの原点とは、顧客本位のサービスと品質。
レイクロック、マクドナルド兄弟の心は、きっとそこに宿る。