宣伝勝ちではいけない

今、日本のマクドナルドは史上最高に儲かっている。
しかし、それは絶対いつまでも続かない。
今回はそれについて触れていきたい。

まず、皆に問う。
去年2018年、マクドナルドのプロモーション(期間限定販売品)で、これは面白かったとか、美味しかったとか、記憶に残るものはあっただろうか?

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これは昨年1年で取り扱ったプロモ商品のダイジェストだ。人それぞれに感覚の差異こそあるだろうが、私が見る限り、新しいものはそこに無い。その代わり、一年前、二年前に見たことがあるものの「マイナーチェンジ」ばかりで、そもそも商品自体「新商品」ではないし、プロモもその新しさとか、驚きを仕掛けたものではなくなっている。

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例えば、2010年から始まったこのプロモは、今でも色褪せなく記憶に残る、マクドナルドの「楽しい記憶」ではないだろうか。目新しいバーガー、続々登場するそれはお味も良く、毎週末はマクドに行こう!と決め込んだものだ。しかし、このところそういったプロモの楽しさを感じることが無くなっている。

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そして興味深いのがこの統計だ。
私達客側の意見ではなく、マクドナルドのクルー(従業員)でさえこう感じているという現実。商品を受けとる側の楽しさ以前に、その商品を作る側にも、楽しさが欠けているのだ。もっとミクロにフォーカスしてみると「プロモ商品が似ていて作り間違いやすい」という声もある。作り間違うほど似ているということは、当然入れ間違えも起こる。そうなってくると、エンドユーザーに届く商品に、もうその魅力は無い。

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どうしてこんなマクドナルドになり、それがここまで儲かっているのか。
この書籍に登場する著者がとんでもないものを持ち込んだからだ。

劇薬の仕事術

まさにそれは劇薬だ。劇薬とは医療品ではない。人々の「気」を荒ぶらせる薬のことだが、それは「マーケティング」のことを指す。

彼はマーケティングによって人々に「注目」させるところに火をつけてしまった。それは過去のマクドナルドが売りにしてきた「新商品」での驚きを失わせ、平凡な既視感バーガーでもそれなりに売る「劇薬」なのである。

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この商品(ベース)は既存メニューであるダブルチーズバーガー。そこにソースをチョイ足ししただけの平凡な商品を、食べ比べだの投票だの、そういう「劇場型」の煽りプロモを企画し、SNSでの拡散を執拗に迫ってくる。そしてこのプロモは去年の今頃にも同じことをしている。つまり何にも開発陣は仕事をしていない。ということだ。

こういった企画とは「商品在りきのプロモ」ではない。
「プロモありきの商品」であり、商品よりも宣伝が勝っている。

すごい極端な例え話をする。

あなたがカッコイイ宣伝広告を見て、最新のiPhoneを買ったとしよう。
しかしそのiPhoneは、最新といいつつ中身は世代が古かった。新しいのはガワと宣伝広告だけだったらどう思われるだろうか。
商品とはお金を払い、所有する事で悦びを見出すものである。その対価を支払うということは商品やサービスに対して一定の期待権とか満足権を担保できなければならない。マーケティングが勝って商品が負けると、それは「誇張」でしかない。

その確たる証拠は「私達の記憶」にある。
過去のマクドナルドのプロモ、いくつ思い出せるだろうか。

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これらはまだ「再生請負人マーケター」が登場する前のマクドナルドの新商品・プロモの数々だ。2014年だけを見ても、記憶に残るものが数多く見つかるが、たった一年前のプロもが思い出せない。これが劇薬の仕事術の残したものなのである。

マクドナルドのCEOが変わるらしい。
来月の株主総会の後に、それは正式に決議されることだろう。
サラ・カサノバ氏の代で、先に示すように日本マクドナルドは大きく変化した。何より株価に作用することを冗長的にやってきたことで、過去最高益を達成した点は評価できる。しかし、それは「中身が伴っているか」という点では、頷けるものではない。
以前記事にしていたが、サラ・カサノバ氏自体その「マーケティング畑」にいたし、それがどれだけ「劇薬」なのかは知っている。だからこそ、足立氏にそれを思いっきり駆使させ、今の「売り方」にシフトしたとも言える。しかしそれは、「楽しさ」や「驚き」を奪い、潤いのない肌のようにカサカサなマクドナルドにしてしまったと私は思う。そしてその張本人である足立氏はもうマクドナルドから去っていった。

簡素な商品を冗長プロモで展開。SNSで拡散させて客を搔き集める

その調整弁を失った状態で客は押し寄せ、レイバーはその忙しさや違和感から去り始め、それを食い止めるのにもまた「マーケティング」を駆使してダンスを踊る。しかし人手不足は負のバイラルマーケティングと化し、歯止めが効かなくなってしまう。

つまり、客はマーケティングで増えた一方で、レイバーは減ったという事だ。

サラ・カサノバ氏が残したものとは何か。
マクドナルドという多くの客、レイバーの中にあるイメージをぶっ壊し、高効率とか合理性を追求し、店でのイベントやお客様係などの「潤い」の部分を劇薬をぶっかけて消し去ってしまった。最後の最後に始まった「おもてなしリーダー」も板についていないままだ。

商品の実力。ここが欠けていると、顧客は離れる。
実際離れている現実を、本社は知らない。それは、劇薬の仕事術が正しいと思い込んで疑わないからだろう。今日来店する客のトレーの上を見ても、プロモに乗っているものはほとんど無い。その劇薬に乗らない客が日々増え出している。そこに目を向けないで、いや、見て見ぬ振りで、毎年同じことをして、手堅く稼ぐスタイルに陥った。

もうマクドナルドに鉾は無い。盾だけだ。
その盾が欠けた時、本当にどうしようもない、再建不能なネックポイントがやってくる。
何を言いたのか。それ「現実を直視する」ということの重要性を再認識してほしいということだ。
少なくとも、私の周りで「今のマクドは昔より良い」といっている者は一人もいない。

せっかくサービスの質が高まりつつある今、こんなヒットばかりでホームランを狙わない商品で躱すばかりでは、客の心はだんだんとシケてくるし、サービスを頑張る現場のクルーに対しても大変無礼である。

深変とは、口ばかりだったのか。