人がいないSNS

私とマクドナルドの関係で、いちばん気になるところがある。
それは「壁を感じること」だ。

昔からそれを感じさせるのは、一見して客を歓迎しているようで、最大限にバリアを張っていると思わせるようなところが見え隠れする素振りをするところだろう。

例えばこんなケース。
ドナルドアピアランスで、客席にドナルドが登場した時に、スマホで撮影しようとした時、私はその店のクルーから制された。どうして撮影できないかと訊ねると…

「この向きでは他の客が写り込んでしまう」

そしてこうも言われた

「資材(納品された段ボールの山)が写ってしまう」

私は考えた。そもそもドナルドアピアランスを開催する意味とは?
そして、ドナルドが登場して楽しい時にどうしてこういう水を差すような発言ができるのだろうかと。まさか、写真を撮ろうとしている客全員に、こんなお節介な事をしているのだろうか?
正直、驚きを通り越して、ぐうの声も出ず、シケた思いでその店を後にした。

こんな事もある。

ある店で、おもてなしリーダーの働きに感激し、そのクルーと一緒に記念写真を撮りたいと思い、SWに一応確認した。すると…

「店長に確認してみてください。あっちに居ますので」

と言われたので、店長を探して訊いてみると…

「ああ無理ですね。そんなのできる訳ないでしょ」

というではないか。
当たり前のように無理だと言い、できる訳がないと言い切るスタイル。その確たる思いとは何故なのかなと思ってしまうし、ゲストとの関係をこの会社はどのように捉えているのかと思わざるを得ない。

客の写り込みとか、記念撮影さえもお断りとか、そういうフレンドリーなようで、いざ足を踏み入れると、必死に追い出すような素振り。ここに日本のマクドナルドの大きな癌腫瘍がある気がしてならない。
会社や店の判断は分かるし、全て私の思い通りになるとは思っていない。ただ、前者も後者も、断るにしても、よくもこんな失礼な発言をするなと感じるし、もっと言い方というものがあるだろうと思ってしまう。そういう頑ななバリアこそ、まるでエリア51に足を踏み入れ、警告されるようなイメージを持ってしまうのだ。

そしてもう一つ、不思議…というか、不気味に感じるものがある。
それは「マックアドベンチャー」に纏わる写真だ。

子供達に楽しい店舗体験をしてもらい、思い出をクルーとつくるというユニークな職場体験アクティビティだ。開催店舗はどこも人気があって予約がすぐ埋まると聞く。
しかし、ここにも謎めいた行動を見かける。

職場体験を終えて、カウンターの外に出て記念撮影。クルーがカメラのシャッターをきる。そしてできた写真を見た時に、何とも言えない気持ちになった。

集合写真の後列のクルーだけ、顔の部分がフレームアウトしているのだ。

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思い出にもぽっかりと穴が開く不思議な記念写真

間違ってそうなったのではないと思う。
おそらくそうした意図は薄々掴めるが、そこまでするのかな?とも思うし、子供達の楽しい思い出に、マクドナルドクルーの笑顔は不要という事なのだろうか。きっと子供達の思いも複雑だろうし、最後の最後に場がシケる。

さて、話は変わるが、国内にとてもユニークなお店がある。
まだ臨店したことは無いのだが、私がとても気になっているお店だ。
九州は長崎にある「みらい長崎ココウォーク店」のインスタの取り組みが素晴らしい。

マクドナルドみらい長崎ココウォーク店 Instagram
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客と作るインスタ企画!
フロートをオーダーした客にインスタに登場してもらうというものだ!
企画としてどうなるのかなと見守っていたら、毎日のように希望される客の笑顔がアップされていくではないか。私も多くのイイネをして参加した。

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そう。ここには「表情」がある。客の今の楽しい気持ち、クルーの客を喜ばせたいという気持ち、それがデジタルなディスプレーを通して伝わってくるのだ。
そして、その企画以外の部分でも、いつもクルーの笑顔が溢れる投稿が主成分であり、営業的なイイネではなく、親しみからくるイイネが集まっているのではないだろうか。

こんな楽しい場所が、マクドナルドなんです。
私はそれを言いたい。

海外のインスタを覗いてみても、それは顕著だ。
「客だからこうあるべきだ」みたいな概念が無いのだろう。実に自由で、フレンドリーなマクドナルドがたくさん見つかる。

例えばこちら。

McDonald’s Götgatan Göteborg Instagram
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スウェーデンはGötgatanに所在するマクドナルドの店アカウント。
何気ないお店でのワンカットには、ゲストの姿もある。それがとても自然な姿であることは、きっとゲストを家族のように思うからこそ、それができるのかなと思う。ここには、プライバシーとか、肖像権という小難しい言葉は見当たらない。

そもそも肖像権という言葉をよく聞くが、日本には肖像権に関する法律は存在しない。そういう言葉を知りもせず、独自解釈で認識している人がとても多い。そして、プライバシーについても、雑観においてそれを侵害されたとか訴える者がいるのかと言うと、それは地球上で隕石にぶつかるほどの低い確率だ。
それを建前にして、多くの客に対してバリアを張ることは、どれだけ損なのかは容易に理解できるのではないだろうか。事実、「みらココマック」のように、日本でも「可能」だという事を証明しているし、インターナショナルなマクドナルドの運用事例からしても、できている国がある以上、それは胸を張って推進しても良いことを証明している。それを遮るものとは、つまるところ「心の中のバリア」ではないだろうか。

記念写真すら撮れない、インスタしても店のポスターを写すだけ、本社のツイートをRTするだけ、写真のクルーは顔がない…それらに共通することは「人がいない」だ。
無人の、或いはカオナシでは、体温を感じない。本来、人と繋がることが目的のSNSにおいて、人がいないのでは、繋がりようがない。

もっとも、今や売上利益先行で、ホスピタリティを忘れている店がとても多いから、そもそもSNSすら売上の為だけでしかないかもしれない。しかし、忘れないでほしい。

マクドナルドは楽しい想い出ができる場所

それは世界の、どの店にでも、絶対的に共通していると思う。
「マクドナルドとはハンバーガーを売る仕事ではない。〇〇を売る仕事だ」
マクドナルドの従業員なら、〇〇に当て嵌まる言葉を知っている事だろう。
今、そこを想起してほしい。

マクドナルド感を示すものとは

マクドナルド感

私が関係者との交流の中で、よく聞く言葉だ。
でもそれって一体何だろう。

マクドナルドはハンバーガー屋さん。
だから中心にあるのは、ハンバーガーかもしれない。
しかし私はそう思っていない。

マクドナルド感を醸すものとは、食べものからくる味や匂いといった「五感」で感じるものでもあるけど、私はそれが「人」にあると思っている。

会社が大きすぎて、経営が傾いては再建のメスを入れ、その度に少しずつ姿形が変わっていく。
店に入ったときの空気、クルーの眼差し、客の表情、その全てにおいて変化を感じている。
不祥事などで客が離れ、売上利益という結果が出ない、そして人の倍働く、結果少しずつ黒字化してくる、その先に残されるものとは何だろうか。

人によってイメージはそれぞれ違うだろうが、私の持つマクドナルド像とは、「楽しく、明るい空間」だ。
それを演出するのはハンバーガーだけではできない。
「人」にこそ、それを演出することができる。

マックアドベンチャーの紹介動画だが、この中に登場する赤い服の女性。
現在においては、こんな雰囲気が、唯一残された「マクドナルド感」ではないかと思う。
気張らず、自然に、心地良い、人をもてなす姿にある。
答えは、作り笑いではない「子供達の笑顔」にあると思うのだ。

来店の挨拶する、注文を受ける、商品を作る、テーブルを拭く、ゴミを片付ける、掃除する、退店の挨拶をする…。
これもまた、大事な日々のルーティンであるし、足りないとあまり宜しくない。
しかし、国内に3000店もある店において、ほとんど同じ商品を、同じ調理法で、寸分狂わない同じ味で提供したときに、その中から「お気に入りの店」として選んでもらうためには、何が必要なのかということだ。

売上利益最優先で、人としての魅力が削がれてしまってはいないだろうか。

タイムを縮めて、少しでも多くの客を捌き、キャッシュを求めるのは企業としての正義ではある。
しかしそれはどこでもしている事であるから、店のファンを増やすことには直結していない。
いやむしろ、ファンがファンでなくなるのかもしれない。

毎日パソコンの画面で、数字だけ追っている経営者、管理者は、おそらくそれが分からない。
やればやるほど、目の前のキャッシュに目が眩み、店はどんどんマクドナルド感を失っていく。

この動画を観ていると、私はこういう感情を抱く。
「あの頃のマクドナルドは良かった…」
老人の懐古主義というわけではない。
最もマクドナルドらしさに溢れていた時代だと思うし、年々その魅力が薄れているのを実感しているからこそ、そう思えてならない。

クルー満足度が低いのに、顧客満足度が上がるわけがない。

そういう意見もある。
それこそ、前述の「売上利益」を求めすぎた結果だと思う。
そしてこの言葉の裏には、「私たちはもっと顧客満足度を高めたい」という強い意志を感じる。

マクドナルドは人気者だ。
しかし、その人気とはどこから生まれるのだろうか。
長い時間を経て、人々が愛する存在になった一番の理由とは。
今、その長い時間を経て出来上がったものが壊れ始めている。

SNSで過剰に演出し、客足が戻ってきたなんて考えるのは間違いだ。
マクドナルド感を支える「人」がいなくなったとき、それこそ取り返しのつかない客離れが起きるだろう。

もしかしたら、それはもう始まっているのかもしれない。