コロナがマクドナルドに齎したものとは

世界的な大流行という今世紀初とも言える人類の脅威となったコロナウイルス。
2020
年春、クルーズ船の報道から端を発し、もの凄い勢いで拡散。遠い、少数の、他人事のように思われていた疫病は、私たちの身近な存在となり、世界はその脅威に平伏し、その沈静化を願った。

日本では、令和2年4月7日から、緊急事態宣言が政府から発令された。強制力は無いものの、多くの企業がそれにより「自粛」をし、街から人々が消えた。

企業は基本的にテレワークを勧奨。一方でスーパーマーケットなどの生活必需品を提供する店などは営業を継続してほしいという勧告が成され、社会は粛々と防御の態勢を整えていた。

このブログで語ることは、日本マクドナルドの動向に関する事だが、私なりにコロナウイルスと、同社の取り組みについての見分を書いていこうと思う。

まず、私のオフィスでは、3月末の東京都知事による外出自粛要請を受けて、早速テレワークとなった。自治体からの要請に従うことは企業としての責務であり、当然の対応である。そしてこの発令から、多くの企業、店が自粛期間に入っていく。

大小様々な飲食店が自主的に休業していく最中、マクドナルドは営業を続ける。もちろん禁止では無いからそれぞれに判断を委ねる格好になっているのだが、全く営業形態を変更することなく、安閑と店を開けていることには驚いた。そして驚いたのはこれだけではない。

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半年も前から仕込んでいたプロモーションだからわからなくもないが

営業を自粛するどころか、新商品を発売し、大々的に宣伝を始めたのだ。
この頃から営業自粛をしている飲食店の経営に陰りが出てきたのだが、通常通り営業しているマクドナルドはむしろインカムが上昇する。ぶっちぎりの黒字営業状態で自粛などどこ吹く風だ。客が開いている店に押し寄せるのは当然のことで、マクドナルドは「開いている」からのインカムで、全国の店は「歴代セールス更新」が多発し、多いに盛り上がったようだ。

マクドナルドの関係者に訊くと、客から感謝の声が寄せられたそうだ。
「このご時世お店を開けてくれて感謝している」というものが多いそうだが、少し辛辣な言い方をすれば、それはパチンコ屋と同じで、自粛無視で開けているパチンコ屋に対してパチンカーが「開けてくれてありがとう」というのと同意である。不要不急の外出を控えなさいという行政からの要請がある中で、両者とも「不要不急」なのである。ハンバーガーが無くても私たちは生きていけるし、近所のコンビニでおにぎりを買った方が安全だ。

そう。安全という言葉を使うには理由がある。
マクドナルドが営業しているという事は、そこは「三密」の温床となる。この時点でマクドナルドは何の対策もとっていなかった。そして店内、ドライブスルーに殺到する客の中には、当然保菌者も混ざっていて、感染リスクは一気に高まっていく。マクドナルドとは駅のような場所だからこそ、営業を自粛しないという決断をするのなら、もっと早く、いつも以上に対策をするべきだった。

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これだけ日々感染者発表が続き恥ずかしくないのか

そしてだれでも容易に予想できる状況に陥った。
全国の店で従業員が感染し、急遽当該店舗を閉めて消毒をする事態となった。その軒数は飲食チェーン各社と比較してもダントツであり、プレスリリースには日々感染者が出た店の名が連なった。

私は現役の従業員に、よく統計をとる。今回は「コロナ渦の中で働きたいか」という統計をとってみた。結果はこうだ。

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働きたいという意見はほぼ学生だった

会社は店を閉めることをしない。それでも店に立ちたいかという部分で、ホンネの部分を探りたかったのだ。結果はある意味予想通り。実に8割の従業員が休みたいと回答。何人かにコメントを求めたところ、主婦の場合「子供が小さいから菌を持ち帰ったら最悪死ぬかもしれない」というもの、また学生の場合「学校が休校になっているのにバイトで感染したら意味が無い」という。実に的を得ているし、まともな人なら考えずとも、そういう状況になることは容易に想像がつく。しかし、この会社の上層部はそういう考えを持たない。

その理由は実に明快だ。
マクドナルドとは全国のフランチャイズ契約店に支えられている。本社が営業を自粛すると発表したところで、多くのフランチャイズ契約している中小企業の「利益」を保証することはできない。つまり、責任が取れないのである。だからこそ、どうしても閉めるわけにはいかないのだ。そしてもう一つの理由がある。それは、前述の通り「サムライマック」などのプロモーションがボトルネックとなる。半年以上前から企画し、食材を蓄積しているプロモーションを中止するわけにはいかない。在庫処理の為にも従業員の危険を顧みず営業を続けなければならない。

ちょうどこの頃、SNSには一風変わったアカウントが現れた。

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マクドナルド従業員が声を上げるのは珍しい

助けて
この言葉に誇張は無い。
そしてこの「助けて」という声は一気に膨れあがった。
私の元にも様々な意見が飛び込んできた。
これほどに従業員が経営に対して「異論」を唱えるのは珍しい。マクドナルドからはバカッターの類いはあまり現れないが、これほどに荒れ模様になったのを私は見たことがない。それほど「生命」に危機を感じるゆゆしき事態であることは明白である。

ここにきて、ようやく「コロナウイルス対策」と呼べるだけの対策をとるようになってきた。店ではようやくマスク配布、フィルムスクリーン設置、フィジカルディスタンス表示など、急場凌ぎのものだが、徐々に対応していく店が増えた。が、関係者に訊くと、これらはほとんどが「店任せ」だったそうだ。フィルムスクリーンなどは店長がホームセンターなどで材料を買ってきて手作りしたという。

マクドナルド店内営業を自粛

ようやく報道発表が成された。
しかしこれは、あることのタイミングに合わせたものだ。
まず「サムライマック」を売り切った時点でのこと。大量に仕込んだ食材を産業廃棄物にする事は免れた。そしてもう一つは、ある報道だ。

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減収減益のご時世に強いという印象形成をしたかったのだろう

会社はきっとこの記事が欲しかったのだろう。
コロナ渦においても強いビジネスという刷り込みを新聞にしてもらった。これで無理して営業する理由の1つが解決したから、計画閉店を実行に移したのだろう。従業員から感染者を出してまで無茶に営業を断行し、その結果としてお得意の「印象形成」が完成した。もうここまで来れば、自粛に乗る体でイメージアップするしかない。

安全安心のために、今できること。
何を言っているのだろう。
この記事を読み、時系列的に顛末を理解すれば、安全安心という言葉の軽さを感じるのではなかろうか。
そしてこれらのCMには、深い意図が視えてくる。
まず、「ドライブスルー、デリバリーが便利です」である。これは別にコロナ渦があろうがなかろうが今までもあったものだ。単なるビジネス的な宣伝に過ぎない。そして「モバイルオーダーペイ」だ。いかにもコロナ渦のために開発したような印象を与えるが、これはだいぶ前からサービスインしており、またあまり評判が良くなくて利用者が少ない。そのタイミングでもっと利用者を増やしたいという意図があからさま過ぎだ。これもEOTFという日本マクドナルドが推進しているサービスの一環で生まれた新機軸であり、コロナ渦対策で用意したものではない。

欧米諸国のマクドナルドでは、啓蒙広告を主として展開している。手洗いの励行、マスクの着用、フィジカルディスタンス、それらの広告は一切利益には繋がらないが、客の健康を考えると当然そのような内容に仕上がる。そういう点でもインテリジェンスの差を感じてしまう。

そして当然の流れとして、全国3千店の「客席利用休止」を発表。
多くの従業員が安堵したと言いたいが、ここでも問題がある。
ショッピングセンターなどの店は屋台の閉店に合わせて店を閉めたものの、そこからのヘルプが開いている店に殺到し、キッチンは「密」になったという。社内においてもそういう感染対策は粗雑で、深く考証するというこの会社の苦手なところが如実に表れた。でもそれは潔く「全店休業」をすれば済む話であり、先に示したとおり「フランチャイズ契約店」を生かしておくためには必要なことで、現場では多くの苦労があったと聞いている。

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住宅地でこれは迷惑だ

そしてある事が社会現象になった。
それはドライブスルーに押し寄せる車列が延々と続くというものだ。
そうでなくても土日の営業で近所から苦情があったり、最悪の場合は通報により警察が出動する事もあるドライブスルーだが、いつもの倍近い客が押し寄せ、近隣住民からは「公害」とまでSNSに書かれる始末。もうここまで過剰なインカムがあると、店としても対策の取りようがない。
以前から少し気になっていたことだが、マクドナルドほど人が大勢やってくる場所は、ある意味規制がかけられない。そうなると最悪の場合は暴徒化することもある。例えばこの写真の待っている人々が痺れを切らしてクラクションを鳴らし出したらどうするのだろうか。一言でいえば「やり過ぎ」だ。

また、ここに大きな盲点があった。ドライブスルーにやってくる車は、個室である事から車内の者はマスクをしていないケースが多い。そして従業員と接する場面ではいつもより大きな声で話す。つまり、飛沫感染が最も危険な状況が出来上がったというわけだ。そりゃ「助けて」になるだろう。

先に示したとおり、これだけのインカムがあっても尚のことテレビCMでドライブスルー利用を扇動する気質は、まさに金儲け主義そのものである。

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徹底した除菌作業が行われる現場

コロナ渦がマクドナルドに齎したもの。
様々な取り組みにより、結果として顧客が安全に利用できるだけのスキームを手にすることが出来た。それは実に評価できる。
しかしその反面で、己の利益に拘りすぎてか、犠牲を多く生んだ。そして相変わらず現場の声をまったく聞いていない。
OC
OM(管理者)などのホワイトカラーはテレワークで店に行くことを禁じたそうだ。しかしその反面で、店に立ち、毎日感染の危機に怯えていた従業員のことを忘れてはいないだろうか。守られる命、どうでもいい命なんてない。みんな平等に守られる、守りたい命ではないのか。

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6月に入り、全国の従業員に、本社から手紙が届いたそうだ。
手紙はCEOのキメ顔。そしてハンバーガーなどの無料券が添えられて。
この手紙が届いたという投稿がSNSを賑わせたが、そのコメントは実に酷いものだ。

「こんなのいらないから現金を」
「マックカードのほうが良かった」
「手紙は読まないでゴミ箱行き」
「課税対象ってどういうこと」

何も無いよりはありがたい。
しかし、この会社はいつもこのやり方だ。
以前システム障害で大変な思いをした従業員に対しても、セット無料券が配られたようだが、食べものだけで誤魔化される問題ではないだろう。
もし私が従業員だったら、こんなふざけたことをされたら怒り狂う。
命をかけるなんてことは人生でそうそうあることではない。しかし、感染して死亡者が出るような殺人ウイルスがいつ自分に降りかかるかも知れない状況で、マスクをして暑い中で意識が朦朧とするほど努力した従業員の心を知っているのだろうか。コロナならではの苦情も多数寄せられたと聞く。それでも店を開け続けた努力に、こんな紙っぴらひとつで心をひとつにできるというのか。

私の実施した従業員への調査では、サラ・カサノバ会長の支持率は約2割。そして現社長の日色氏、副社長の下平氏は2割にも満たない。そんなトップの強い政治の中で、大変な大時化で転覆しないように必死に舵取りをする従業員からは、何も慕われていない。こんなに求心力のないトップの大企業を私は他に知らない。

マクドナルドは今、大変な「分断」の危機にある。
そしてそれを如実に表したのが、このコロナ渦なのだ。
従業員の命よりも、金儲けを優先した現実は、どうにも言い訳できないだろう。
またしても求心力を低下する結果を招いてしまった。
クルーも一切笑わなくなってしまった。
それは大事な事を忘れているからだ。一にも二にも経営の事ばかり考えて人を後回しにするからこうなる。人を大事にしない企業に未来なんてない。

私は投資をしているが、金儲けだけの企業は嫌いだ。

AJCC2019ファイナル

令和元年12月8日(日)

快晴のこの日、私はマクドナルド1号線池上店に朝から向かっていた。
毎年恒例行事のAJCC(オールジャパンクルーコンテスト)のファイナルを観戦するためだ。


今年は例年になく台風などの自然災害の当たり年で、各地で開催されていた前哨戦において悉く足止めを食らい、ほとんど赴くことができず、あれよあれよという間に決戦になってしまった。それでも昨年より少し遅い、12月8日に最終決戦となった。会場は昨年は異例の2カ所での開催で、六本木ヒルズだったが、今年は1号線池上店で全6チームという少し少ないノミネートでの開催だ。

はっきり言って、今日はとんでもないインカムがあり、聞くところではハーフセールスでなんと20万円を超えたという。きっと娑婆ではボーナスが支給され、買い物に行くなど、財布の紐が緩む中で圧倒的なセールスを生んだのだろう。そんな中での審査はとんでもない混沌とした舞台となった。

以前にも何度も記事にしているが、同店は1階が注文を受けるカウンターだけで、客席は2階にある。その1階が人だらけ。注文待ちと受け取り待ち、あとは関係者陣でごった返している。狭い空間に人が溢れ、大変な賑わいだ。自宅で記事を書いている私だが、まだ鼓膜にガヤ音が残っているほどだ。

客席も空席率が低く、客が右往左往する状況が続く。そんな中で行われる審査だからこそ、実戦力が求められる。しかし、残念なことにそんな中で繰り広げられた審査は、ほとんど人波に埋もれてしまい、客の目線で見るレベルでは、その差を実感することが出来なかった。

AJCCファイナルとは「僅差の戦い」と言われている。それこそ大きなパフォーマンスをしでかす参戦者もいるが、オーソドックスに立ち回ると、圧倒的な動員力の中に埋もれてしまう。かといって、客席警備員としてDJクルーになっても仕方ない。

AJCCでは初めてとなるゲストエクスペリエンスリーダー部門においても、満席に近い状況の中で、様々な客のリクエストに応え、参戦者は皆善戦していたものの、私個人の感覚から言うと、まだまだ未熟というか、走り始めたばかりというルーキー感が否めない。存在感とか、燦々としたスマイルはそこにあっても、実際に顧客の店舗体験をリードしているのかというと、ややパンチが弱いような気がする。きっと来年は正念場だろう。

そして今日とても感じたのは、MOP導入の脅威だ。
これだけのハチャメチャなインカムの中で、MOP(モバイルオーダーペイ)が運用されたら、もしかしたら店はパンクしてしまうのかもしれない。それこそ人海戦術で、画面にどんどん落ちてくるオーダーを取りこぼさず、一つ一つ確実に繋げていくのは、さすがはマクドナルドシステムだとは思う。しかし、今日の時点でDPSでは待ちが20分近く。テーブルデリバリーでも10分は待った。McCafe by Baristaでも15分は待っただろうか。この忙しさは、求められているものなのか、危険とするレベルなのか、そう考えたときに、ちょっと「異質」さを禁じ得ない。よくもまあこんな状態で苦情がおこらないものだと、むしろそこに感動した。

相変わらず関係者は多く、おそらくフロアの7割はフランチャイズオーナーとか本社の関係者が占めているような気がする。そんな中で、新社長と対話する機会を得たが、新聞が書かない側面を窺い知ることができた。日色保氏は4ヶ月間、実際にクルーの服装で、若葉マークの名札をし、クローズなどの現業を体験したという。そして現場ではオーナーというよりも、シフマネとかクルーとよく話すという。こういう事実は新聞にはまず載らない。そして何より特筆すべきは、AJCCの会場に社長が来たのは原田泳幸氏以来ということ。サラカサノバ氏は一度も来たのを見たことがない。そういう点では、少しだけ日色保氏を見る目が変わった。

私にはもうひとつの注目事があった。
夏にTOVして、その仕事に大変感激したクルーの参戦だ。
当日もとても素晴らしいパフォーマンスを見せている。私的には申し分ない仕上がりだと信じていた。

実は一週間前、私はそのクルーに手紙を託していた。
そこには、約10ページに及ぶ私なりのAJCCへのTIPSを綴っていた。そんなものが役に立つとは思っていたなかったけど、1ミリでも活きるならいいなと思ってしたお節介だ。そしてその手紙を渡す日に、偶然にもその法人のオーナーが現れた。休みだというのに、AJCCに賭ける本人の仕事の最終チェックにやってきたそうだ。多くの人々に支えられ、そのクルーは今日大舞台に立った。

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いつでもフィードバックを求めてくる姿勢に感激

結果はわからない。
でも、何度も参戦できるわけではない巡ってきたチャンスに、最高のポテンシャルで、テンションで、マインドで臨みたい。そういう熱い仕事への情熱が、衆人や審査員を圧倒する、そして行きつく先には、1年の積み重ねが結実する…そう願っている自分がいる。
神奈川県にこんな輝かしい、全国に自慢できるクルーがいること。そして私が後押しできる悦び。マクドナルド的な○○とは、そういう立ち位置で、何かしらの支えになることができたらといつも考えている。

開催店舗で嬉しいことがあった。
いつも来店を歓迎してくれるSTARの池原さん。こんな私のために素敵なおみやげをくださった。彼女はいつも私が来店すると席までやってきて、闊達なコミュニケーションをとってくださる。テキスタグラムにも登場して頂いているが、私が無類のマクドナルドファンである事をよく覚えていてくれて、こうしていつも店舗体験を潤う何かをしてくださる。

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まるでお母さんのような素敵なクルー

過日開催されたセミファイナルに、GELの池原さんの姿があった。いつも通りのSTARとして育まれた優しいおもてなしは、私の心も和ませてくれて、その結果が楽しみだったが、その時は惜敗してしまった。しかし、負けるクルーであっても、こんなおもてなしがあるし、私は過去にも多くのクルーと出会い、AJCCを応援し、負けの悔しさを分かち合ってきているし、敗北したクルーもみんなとても素晴らしい。だからこそ、スキルマッチの厳しさの中で、こういう良いところが枯れてしまっては困るといつだって思う。

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船(シップ)のようなマクドナルドの聖地

店を出る頃には、なんともいえないコントラストの空に、ゴールデンアーチが輝いていた。
私はマクドナルドの復活が良くもあり、悪くもあり、そういう葛藤の中にいる。しかし、現場で働く人々と向き合い、心を通わせ、たくさん笑い、涙する。そんな人間らしさと共感することが好きなんだ。そして今年も喜怒哀楽が詰まったコンクールが終わろうとしている。

そういえば今回は本社の方々が闊達なコミュニケーションをとってくれた。
PR部、ハンバーガー大学、危機管理室(笑)。ご挨拶を頂戴できてとても嬉しい。

私が帰宅する頃には、結果が発表されている事だろう。
勝っても、負けても、みんなよくやったと思う。
今年も残すところあと僅か。

本日楽しく観戦した仲間にも厚く御礼申し上げたい。